日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心

私たちは2013年11月に台大日本研究センターを発足させました!

本センターはグローバル化、リージョナル化、グローカル化へと急速に移り変わる今日、さらに将来を見据えた展望と大局的な幅広い思考を持ちつつ、人文科学と社会科学の対話を積極的に推進し、横断領域的かつ国を越えた思考のもとに、台日教育、文化交流、研究的価値を向上させることに努めます。それを通じて台湾における日本研究の拠点を目指します。

日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
紀念演講(一)主講人:陳弱水(臺灣大學文學院院長)
陳弱水教授簡歷
現  職國立臺灣大學歷史學系特聘教授
國立臺灣大學文學院院長
中央研究院歷史語言研究所合聘研究員
専長領域隋唐五代史、中國思想史、比較思想史
學、經歷美國耶魯大學歷史學博士
行政院國家科學委員會歷史學門召集人
日本東京大學大學院人文社會系研究科教授(一年期)
中央研究院歷史語言研究所副所長
美國哥倫比亞大學東亞語文與文化系客座教授
著  作《唐代文士與中國思想的轉型》(桂林:廣西師範大學出版社,2009)。
《唐代的婦女文化與家庭生活》(台北:允晨文化實業公司,2007;
簡體字版《隱蔽的光景:唐代的婦女文化與家庭生活》,桂林:廣西師範大學出版社,2009)
〈漢晉之際的名士思潮與玄學突破〉,收入陳弱水主編,《中國史新論‧思想史分冊》(台北:中央研究院‧聯經出版事業公司,2012)頁171-249。
“Epilogue” (with Dorothy Ko, Angela Ki Che Leung, and Robin Yates), in Clara Wing-chung Ho, ed., Overt and Covert Treasures: Essays on the Sources for Chinese Women’s History (Hong Kong: The Chinese University Press, 2012), pp. 571-578.
日文摘要、中文摘要
 
日文摘要
講  題:私のイメージする日本研究――「地域研究」(area studies)から考える――

 本日、台湾大学文学院日本研究センター開設の日を迎え、徐興慶センター主任の仰せにより、センター開設者側として挨拶の言葉を述べさせていただきます。
 本題に入る前に台湾大学文学院長としまして、ご来場の皆様方に深く御礼申し上げます。また、式典後に続きます記念講演と各セッションにご参加下さる皆様にも厚く御礼申し上げます。今後とも皆様より日本研究センターならびに台湾大学文学院へのご支援を賜りたくお願い申し上げます。
 さて私がお話するテーマは「私のイメージする日本研究」、副題には「『地域研究』(area studies)から考える」を掲げています。まずテーマについて少し説明します。「私のイメージする日本研究」と銘打つのは、日本研究の実際の現場にいない門外漢のため、イメージから述べるにとどめるからです。そのうえでお聞きいただければと思います。
 私のような門外漢が一体何を話すというのでしょうか。またなぜ講演を引き受けようと思い至ったのでしょうか。その主な理由は、台湾の日本語教育はすでに十分な蓄積を有するものの、学術的、専門的な日本研究は、まだ不十分であるからです。日本研究は発展や成長が見込まれる分野です。台湾大学日本研究センター開設の重要な意義はまさにここにあります。
 日本研究は基本的に「地域研究」に属します。私は「地域研究」の課題にいくらかの理解があります。かつてアメリカ、カナダの大学で、13 年ほど学業を修め教鞭を執りました。うち5 年半は地域研究の学部・大学院に籍を置きましたので、実際の現場経験があります。さらに、台湾における高等教育ならびに学術界の実態について一定の理解を有しています。以上の背景から私の話には参考になりうる箇所があることでしょう。では本題に入ります。

1、日本研究の発展と密接に関わる台湾における学術状況
 1 つ目に申し上げることは、日本研究の発展と関わりのある台湾における学術の現状です。つまり台湾における日本研究を語るとき、まず何に注意を払うかということです。もちろんどれを選ぶかは、私の個人的主観を含みます。
 まず、台湾では外国研究や中国以外を対象とする研究の伝統がありません。さらに、華人学術界には外国研究の伝統的欠如が存在します。世界中の主な学術コミュニティのうち、華人学術界は外国研究への理解が不十分なコミュニティの1 つでしょう。学術界の多くの者は、指導的立場の者を含め往々にして外国研究に価値を見出そうとせず、懐疑的ですらあります。よって、外国研究の質や量は満足できるものではなく、アマチュア的な性質を帯びるものがしばしば見受けられます。
 これは実に深い文化的な根が絡んでいます。世界の主要文明のうち、中国は特に外国語、外国の事柄を重んじることはありませんでした。近代以前の教育を受けた者のうち、外国語にいくらか理解のある者はごく少数にすぎません。19 世紀半ばから終わりにかけて、西洋列強が大挙して中国に押し寄せるまで、仏教が中国と関係の深い中国域外を源とする文化的伝統でした。しかし、仏教聖典の翻訳の多くは外国の僧が行い、中国の仏教徒で梵文を理解する者は少数でした。玄奘三蔵のような人物は例外に過ぎませんでした。
 この自己を中心とし他者を見過ごす姿勢を、日本の学術界では「中華思想」と呼んでいます。台湾における外国研究の発展には、原則や実際の場面でも、つねに「中華思想」の干渉を受けているようです。私は注意しまた乗り越えなければならないと考えています。
 2 つ目として、日本研究の発展に関わる台湾の学術の現状とは、日本研究と関連する教育と研究活動が日本の言語と文学、特に言語にほぼ集中している点です。一般に地域研究はディシプリンをそれほど問題にせず、研究対象(特定の地域)に特化する研究活動です。そして最大の特徴とは、対象地域の言語を身に付け実施する学術活動だということです。また地域研究者にはフィールド調査を重視する者もいます。
 言語が地域研究の鍵を占めるため、地域研究の発展には当該地域と関わりのある言語を重視し、その語学コースを設置することになります。しかし台湾は数多くの日本語学科を擁しているものの、言語以外の日本研究は僅かで、極めて不均衡な状態であると言えます。
 3 つ目として、ここまで述べたように、台湾には日本研究の発展のためのよい環境が整っています。さきほど申したように、地域研究とディシプリン系は異なります。地域研究はある特定地域を、特に言語を通して直に理解しようとします。この点について言えば、台湾はすでに日本研究発展のための良好な基礎を築いていますが、転化のための基礎的なメカニズムや原動力に欠けています。私は日本研究発展を考えるとき、最も注意を要する点だと考えます。
 日本研究は台湾で十分な蓄積を持つ他の地域研究と比較することで、より特徴が明確になります。過去20 年を遡りますと、台湾は意識的に研究が進んだ地域研究が2 つあります。1 つは東アジア研究、もう1 つは東南アジア研究です。一般に東アジア研究と日本研究はほぼ同義か、日本研究と密接な関わりがあるとみなされるようです。個人的には日本研究と東アジア研究は分けて考えるか、または日本研究の自立性を重視したいと考えています。日本研究が永続的に東アジア研究(さらに中日関係研究)の附属に過ぎないのであれば、発展は難しいでしょう。この点は後ほどお話します。
 一方、東南アジア研究の特徴とは、東アジア研究の一部としての日本研究と比べ、現地の言語を理解する者は台湾では少数であることです。大学の東南アジア言語の科目は少なく、また開講されても履修者は僅かです。今述べたことは現在の状況ですが、20 年前に東南アジア研究が始まった頃、学術界で東南アジアの言語を操れる者はほとんどいませんでした。日本研究は東南アジア研究と比べても言語面の基礎は極めて高いわけです。ところが、言語そのものでは結局のところ社会、文化、政治、歴史の経験的研究へは直接的に結びつきません。実際、台湾の社会科学界では、東南アジア研究は日本研究よりも盛んです。この鍵はどこにあるのか、よく省みる価値があるでしょう。台湾における日本研究を一から発展させるわけではありません。すでに良好な語学教育が構築されていますので、日本研究と如何に繋ぎ合わせるかが今の鍵となります。

2、アメリカにおける地域研究の、いくつかの重要な経験
 次に「地域研究」(area studies)それ自体の問題に移りたいと思います。地域研究は第二次世界大戦後盛んになり、特にアメリカや他の英語圏の国々でも盛んになりました。アメリカの地域研究の興隆とは、世界全ての主たる地域、さらに西洋文化域内さえ地域研究の対象としたことです。加えて、高等教育や学術界では、地域研究は高度に制度化されています。今日、台湾で日本研究を語るとはこうした歴史的影響を受けており、さもなければ日本研究を推進させるという目標を示す手立てすらないでしょう。以下にアメリカの地域研究の経験に照らし合わせて、逆に台湾で推進する日本研究の特徴と問題点を見てみます。
 アメリカの地域研究について、3 点ほど説明します。まず地域研究の古典的研究の基礎があることです。周知の通り、アメリカの地域研究とは第二次世界大戦後盛んになりました。この発展とは国際政治の背景と非常に深い結び付きがあり、第二次世界大戦後の冷戦とも深く関わるものでした。冷戦、そしてソ連との競争に備えるべく、非西洋の国家、地域を十分に理解するため、政府の強大な支援を得たのです。もちろん世界の地域とは多岐に渡り、全ての地域が冷戦と関係があるわけではありませんが、大部分がそうでした。中国研究について見てみると、アメリカ国防総省の強力な支援を得て、多くの学生奨学金を支給しました。
 ただここで指摘することは、地域研究の興隆と冷戦には直接的な関係があるとはいえ、淵源があることです。淵源とは東洋学(oriental studies)を指し、ある意味で古典研究(classical studies)とも言えます。東洋学とは、言語や文字を通して東洋を研究する、ということです。ここでの東洋がさす範囲は極めて広く、中東からインド、極東までを含みます。また研究対象もこの地域の近代、現代文化のみならず、失われた歴史的文明を含みます。東洋学とは基本には文献学(philology)の性質を帯びますので、西洋の古代ギリシャ、古代ローマ研究といった古典研究(classical studies)とも類似した性質があります。両分野は相互の往来があり梵文と北インド言語はインド・ヨーロッパ語に属し、ギリシャ語との接点は少なくなく、インド学者(Indologists)で古典学を学問的背景とした者は少数ではありません。事実、第二次世界大戦後の第一世代の漢学者、日本研究者も大学では古典を主専攻とした者が多くみられました。
 ここで申し上げたいことは、西洋の地域研究は実に長い学術的基礎が存在してきたこと、この基礎とは極めてエリート方式で、あまり流行らない言語に基礎を築き進められた人文学研究であることです。第二次世界大戦後の地域研究がほぼ言語を土台とし、言語を重んじた多くの部分は、ここに由来します。イギリスやヨーロッパの地域研究と古典研究のつながりはさらに深いのです。古典学を背景とするアメリカの地域研究と、台湾の日本語教育を比べてみますと、大きな違いが見出せます。台湾における日本語とは、英語ほどではありませんが、この20 年では人気のある言語であるといえます。台湾の大学の日本語教育は、基本的には就職に有利になるような機能的、実用的教育で、西洋の東洋学の性質とは大きく異なります。台湾のこうした性質の教育から日本研究や地域研究を発展させることは、当然容易でなく、特別な努力が必要です。
 2 点目は明らかな特徴として、戦後アメリカの地域研究が高度に発展したことです。大学では徹底して制度化、つまり学部や学科が立ち上げられました。ここでアメリカの地域研究の制度化を詳細に紹介することは避け、簡略的に少し説明してみたいと思います。
 アメリカの大学における地域研究の制度とは、おおよそ地域研究学部や学科のある、なしの2 つに分類できます。ハーバード、コロンビア、プリンストン、シカゴ、カリフォルニア大学バークレー校といった名門校には地域研究の専攻があることから、多数の研究型大学には設置されているようです。ところが、地域研究は何でも扱うということはなく、学問分野を跨いでいるもののほとんどが言語教育、文学、近代以前の歴史、文化研究、哲学思想などに限られ、簡潔に言えば人文科学のみを扱っているのです。また大規模大学や研究志向の特に強い大学では、地域は細かく分けられていますが、ある大学ではどちらかといえば大ざっぱに分けています。例えば私がかつて教鞭を執ったカナダのブリティッシュコロンビア大学では、アジア研究は南アジア、東アジア、東南アジアをまとめた学科が1 つあるだけでした。
 地域研究の専攻が開設されている大学でも、例えば歴史学(一般には近代史を扱う)、社会学、人類学、政治学、地理学、経済学各専攻のように、地域研究の研究者が各ディシプリン系に分散しています。こうした大学には、台湾の研究センターに当たる各地域研究に関するカウンシル(council)がほとんどの場合置かれています。しかし、主たる役割は学内の地域研究の研究者をとりまとめる協調の意味合いにあります。正式な組織として委員が置かれ、特定の業務に従事し、定期的に会議が開かれています。私が1985 年の夏休みに初めて日本での研究資料の調査が可能となったのは、イエール大学の東アジア研究カウンシル(Council on East Asian Studies)から支援を受けたからでした。
 他に地域研究の学科が存在せず、地域研究の研究者が各語学学科(東アジア言語、スラブ言語、中東諸語など)や他の専攻に所属しているという組織形態があります。名門校では、コーネル、ブラウン、スタンフォードがそうです。これら大学では、協調的な研究カウンシルやセンターがさらに重要になります。
 以上から台湾を見ると、制度的基礎がほとんどありません。日本研究について申しますと、単一の語学学科と少数の日本研究センターがあるにすぎません。日本語学科以外に日本研究の専門家は極めて少なく、研究センターの機能は、アメリカの大学の地域研究カウンシルやセンターに遠く及びません。私は日本研究学科といった地域研究学科を開設すればどうかと申しているわけではありません。私の台湾の高等教育への理解から言えば、台湾では拡充によりこれ以上の地域研究の学科を設置することはできません。もし新たなに設置しうるとすれば、語学学科からの転換でしょう。また、アメリカや英語圏の国家が第二次世界大戦後に歩んだような道をもう一度踏む必要はないでしょう。日本研究の学部・学科レベルの制度化がほぼ不可能な状況の下、台湾がこの分野で発展するための、ほんの2 つの道筋があります。1 つは各ディシプリン系で日本研究者を育てること、もう1 つは日本研究センターを強化し、センターに実際的な役割を課し、研究者の取りまとめと後進者の育成(大学院生を含む)のプラットフォームとすることです。
 アメリカの地域研究について最後に1 点付け加えます。今日まで、アメリカの地域研究には学術発展のうえである問題が横たわっています。それは地域研究とディシプリン系(非言語分野)の間の長きにわたる緊張した関係です。ディシプリン系側は、地域研究は「柔らか」すぎ、言語と個々の事例だけを重んじ、研究の深さが十分でなく体系立っていないと考えてきました。逆に地域研究の側は、ディシプリン系の専門家は理論や学説だけで論じようとするため、実際の社会文化、とくに非西洋の社会について、確かな認識が欠けていると考えています。
 台湾の地域研究はそれほど発展していないため、地域研究とディシプリン系間の緊張関係はまだ存在しません。しかし日本研究を発展させていくとき、こうした問題は予見されますので、日本研究が各ディシプリン系で着実に根をおろす方法や、双方とも利する成果が得られる方法を考えなければなりません。こうして日本研究が更に大きな発展の空間を得ることができるのです。

3、台湾における日本研究発展のための具体的提案
 最後に、ここまで述べてきた観察や省察その他の理解から、台湾における日本研究の発展への具体的提案を申し上げます。私の提案はまとまりのないものですが、ご参考いただければ幸いです。
 第1 に、日本研究発展の最大の鍵は人材の育成にあることです。私の提案の多くはこの第1 点目をとり巻くものです。台湾は日本語学科を除き、日本研究の専門家が少ないことから考えますと、各日本語学科は学生のダブルディグリー取得奨励のメカニズムを構築し、そして学術研究に関心があり、その能力がある日本語学科在学生に対し、早い段階から非語学の学問的専門知識を身につけさせるのです。語学学科には文学への関心がそれほど高くはない学生がいますので、こうした学生には語学専攻に導くのではなく、他の進路を与えるのです。
 第2 に、アメリカは文化力の強大さを含め国力が高く、第二次世界大戦後の地域研究の発展は、基本的には自国の国力や資源に頼ったのであり、被研究対象の地域や国家からの支援を必要としませんでした。ここ20 年は少し状況の変化が起きています。しかし台湾にはこうした力量はなく、日本各界からの支援を必要とします。台湾の学術界は台湾の日本研究者育成のため、日本の学術界や政府といかに協力関係をもつかという点が重要な議題となります。私はこの議題を速やかに議事日程に出すことを望みます。そして日本政府が人文社会科学の奨学金を提供する際は、非外国語学科出身者からの求めに留意しつつ、これらの学生への日本語力の要求は柔軟に対処されるよう切に望みます。
 第3 に、学生がアメリカや他の英語圏の国で日本研究の学位を取得するよう促すことです。現在の学術界では1 つの外国語だけを操るのは不十分で、英語の基礎が十分あり、かつ日本研究に身を投ずる者に、アメリカで深く研究するよう促すのです。こうした台湾の学生はすでにいますが、まだ少数です。
 アメリカや英語圏の国で日本研究に携わることの長所とは、これらの国々の大学には外国の新進気鋭の研究者を育ててきた豊富な蓄積があるため、院生教育が効率的に行われていることです。また、地域研究では研究対象地域への資料収集が欠かせませんが、フィールドワークや留学のため、英語圏へ赴く学生はやはり日本と接触する機会は密になります。実現すれば日本研究人材の多元化が進み、切磋琢磨を通じて、この分野の水準を引き上げることでしょう。アメリカの地域研究は、地域研究専攻の他に多くのディシプリン系でも行われていて、主要大学の社会学、人類学、政治学の専攻にはほぼ必ず、ときには1 名以上の日本研究者が在籍しています。ディシプリン系へ留学可能であれば、日本研究の人材供給源の幅をさらに広げることができます。
 第4 に、台湾の教育界には地域研究のための制度的基盤がなく、今後も構築が困難であるため、研究センターはその遺漏を補わなければなりません。設置規則上、研究センターは機能面へ比重を置いていますが、実際的な人材育成を主たる業務とする実体化を考えるべきでしょう。もし、研究センターがこの方面へと進展しないならば、他機構が実行可能なことさえできないこともありえます。
 第5 に、私個人の提案として、日本研究と東アジア研究はある程度の違いを出すべきだと考えます。地域研究は他者を探究し、他者を理解することが主な目的です。しかし台湾では、アジア研究は時に台湾そのものを研究し、または外国へ延ばして台湾自体を研究するものへと変容し易いものになっています。日本研究は「本格的」な日本研究を土台とし、その土台に立ち他者を探究すべきでしょう。台湾の日本研究はこの点を成し遂げ、また日本の学術界からの理解を得なければなりません。日本を研究対象とする外国の研究者は、本国研究者の基準や視角から研究するのではなく、できるだけ対話の観点から意思疎通や交流を重ね、他国で日本文化や社会、歴史といった研究成果を生み出し、そして他国へ伝えるべきでしょう。これらは日本文化の「発信力」にも貢献することでしょう。
 第6 に、全ての地域研究について言えることですが、学術的真実を探究するという共通の目標の他にも、出身国のために尽くすことも欠かせません。地域研究の成果は、豊富な本国の文化を背景としつつ、本国に他者への理解を増すことに繋がるからです。したがって、私共が日本研究を発展させる際、台湾のニーズにも注意を払いつつ、日本研究者が中国語で論文を発表し、学術書籍、特に概説書を出版するよう努めなければなりません。日本研究界がもし社会的影響力を持てば、おのずとこの分野に原動力をもたらすでしょう。
 最後に1 つ申し上げたいことは、やはり事の成否は人にあるということです。アメリカで地域研究が進展したのは、無限の研究資源があったからではありません。比較的小規模な地域研究でさえ、当初はごく少数の人や組織から始まったということです。ときに第一世代の指導的立場の者がその研究分野の専門家であるとは限りません。スピードは早く、10 年も経たず次世代の研究者を育成するわけです。台湾の日本研究発展の明確な指標とは、優れた次の研究者を育成できるか否かではないでしょうか。登場すればこの分野はようやく根をおろすことができるでしょう。

 以上、いくつか私の浅見を申し上げました。ご清聴ありがとうございました。

(森田健嗣訳)
 
中文摘要
講  題:我想像中的日本研究─從「區域研究」(area studies)的概念談起
摘  要:
承蒙臺大文學院日本研究中心徐興慶主任的雅意,讓我這個外行人在中心開幕之際,就日本研究的課題公開發表看法。日本研究在臺灣有著特殊的背景:臺灣懂(包括略懂)日語的人非常多,但日本研究並不發達。對於如何在臺灣發展日本研究,先進已經有所議論。就學術概念而言,日本研究屬於區域研究的範疇,世界上,區域研究之興盛、發展之成功,莫如二次大戰後的美國。本演講打算從美國區域研究(area studies)的經驗出發,反視臺灣日本研究的基本問題,並對今後的發展策略提出若干具體看法。

  今天是臺大文學院日本研究中心開幕的日子,承蒙中心徐興慶主任的雅意,要我來做一個報告。今天中心開幕,我是半個主人,沒有推辭的理由,只能恭敬不如從命。
  不過,在演講的一開始,我還是要以臺大文學院院長的身分,向所有光臨的貴賓致上誠摯的謝意,也要特別感謝在開幕典禮之後繼續聆聽演講以及參加論壇的朋友。希望您們今後能繼續支持日本研究中心,支持台大文學院。
  今天,我要試著講的題目是「我想像中的日本研究」,副題是:「從『區域研究』(area studies)的概念談起」。我先解釋一下我的題目。我演講的主題是「我想像中的日本研究」,題目這樣訂,是因為我是外行人,對日本研究沒有現場的、內在的經驗,只能想像。對於我的演講,請各位用這個角度來看待。
  一個外行人能講什麼呢?為什麼願意講呢?主要的原因是,臺灣的日本語文教育雖然很發達,但是學術性、專門性的日本研究,卻一直進展有限。日本研究是一個需要發展、需要提升的領域。臺大日本研究中心成立的重要意義,就在這裡。
  日本研究基本上是一個「區域研究」的概念,我對「區域研究」的問題剛好有些了解。我在美國、加拿大的大學,連學習帶工作,有將近十三年的時間,其中五年半是在區域研究的系所,因此也有現場的實務經驗。此外,我對臺灣高等教育與學術界的生態也有一定的了解。這些背景也許讓我的意見具有參考的價值。以下,就進入演講的本體。

一、與發展日本研究有關的臺灣學術現狀
  我要談的第一個問題是與發展日本研究有關的臺灣學術現狀,也就是說,要談日本研究在臺灣的問題,有哪些情況值得注意?當然,情況的選擇,也含有我個人的主觀看法。
  我個人以為,第一個要注意的點是,我們缺乏外國研究、非中國研究的傳統。華人學術界缺乏外國研究的傳統是很突出的現象。在世界的主要學術社群中,華人學術圈可能是外國研究的意識最弱的一個。學術界中許多人──包括有些領導者──往往對外國研究的價值不很瞭解,甚至有所懷疑。因此,外國研究的質與量都不甚理想,而且經常帶有業餘的性質。
  這樣的情況,有非常深的文化的根。在世界主要的歷史文明中,中國是特別不重視外語,特別不重視外國事務的。在近代以前,受教育的人當中略懂外國語文的,只能說是鳳毛麟角。在西方力量於十九世紀中晚期大舉入華以前,佛教是與中國關係最深的源於域外的文化傳統,但即使是佛經的翻譯,也絕大多數是外國僧人所主持,中國佛教徒懂梵文的其實很少。像玄奘這樣的人物是例外,而不是常態。
  這種以我為主、忽略他者的心理,日本學術界有個說法,叫做「中華思想」。我想,在臺灣發展外國研究,無論在指導原則或是實務層面,還是時時有「中華思想」的干擾。個人以為,這是我們需要注意,需要克服的。
  第二個與發展日本研究有關的臺灣學術現狀是,與日本研究有關的教育和研究活動幾乎完全集中於日本語文,特別是語言。一般來說,區域研究不算學科,不算disciplines,這是一種以研究對象(特定地域)來界定的研究活動。區域研究的最大特點是,這是以對地域語文的掌握為基礎的學術工作。此外,有些地域研究者還很重視田野調查。
  由於語文在區域研究中的關鍵地位,發展地域研究一定要重視與特定地域有關的語文,建立相關的語文學系。不過,臺灣的情況是擁有大量的日本語文學系,卻少有對語文以外的日本研究。這是特別不均衡的情況。
  另外一點,與前面所說相關,臺灣具有發展日本研究的良好條件。剛剛說過,區域研究和學科不同,它以對於特定地域的直接了解為前提,特別是透過語文的了解。就這一點而言,臺灣已經有了發展日本研究的良好基礎,缺乏的是轉化基礎的機制和動力。個人以為,這一點應該是考慮發展日本研究的策略時,最需要注意的。
  日本研究的這個特性如果和臺灣試圖發展的另一個區域研究相比對,就可以看得很清楚。在過去二十年,臺灣大概有意識地發展兩種地域研究,一是東亞研究,一是東南亞研究。一般往往把東亞研究和日本研究幾乎劃上等號,或視為與日本研究關係極密切的領域。我個人比較重視日本研究與東亞研究的分離性,或者說,日本研究的獨立性。我以為,日本研究如果一直附屬於東亞研究(甚至中日關係研究),終究會難以發展。這一點後面會談。
  和作為東亞研究一部分的日本研究相比,東南亞研究的特點是,臺灣懂得東南亞語文的人很少,大學當中東南亞語文課程很少,即使有,修的人也少。這裡講的,還是當前的情況。當二十年前開始推動東南亞研究時,學界中會東南亞語文的人幾乎絕無僅有。跟東南亞研究相比,日本研究的語文基礎可以說是極其龐大。但語文基礎本身終究無法直接導致社會、文化、政治、歷史的經驗研究,事實上,在臺灣的社會科學界,東南亞研究是比日本研究活躍的,這其中關鍵何在,值得我們好好省思。無論如何,我想說的是,臺灣要發展日本研究,並不是從頭開始。我們已經有了很好的語文能力養成機制,現在的關鍵是如何與日本研究接軌。

二、美國區域研究的若干重要經驗
  現在,我要轉到「區域研究」(area studies)本身的問題。區域研究在二次大戰之後大大興盛起來,尤其是在美國,在其他英語系國家也很盛。在美國,區域研究興盛的程度,到世界上所有的主要區域──甚至西方文化圈內的地域──都成為區域研究的對象。而且,在高等教育界、學術界,區域研究是高度制度化的。今天我們在臺灣談日本研究,就是受到這段歷史的影響,否則我們幾乎無從提出推動日本研究這樣的目標。現在,我想以美國區域研究的經驗為對照,反視在臺灣推動日本研究的特點或問題。
  關於美國的區域研究,我想提出三點說明和討論。首先可以稱為區域研究的古典研究基礎。大家都知道,在美國,區域研究是在二次大戰後興盛起來的,這個發展有非常深厚的國際政治背景,也就是,跟二次戰後的冷戰關係密切。這是在美國有強烈的了解非西方國家或地域以應付冷戰,以與蘇聯競爭的情境下產生出來的,得到了美國政府的大力支援。當然,世界上區域很多,不是所有的區域都與冷戰關係密切,但大部分是如此。以中國研究而論,就受到美國國防部的大力支持,提供了很多的學生獎學金。
  可是,這裡要指出,雖然區域研究的興起和冷戰有直接的關係,但它有更早的淵源。這個淵源就是東方學(oriental studies),在某種意義上,也可以說是古典研究(classical studies)。所謂東方學,是指透過語言文字對東方的研究。這裡的東方範圍相當廣,主要包括中東、印度、遠東等,研究的對象則不限於這些地區近代和當代文化,還包括了已經消失的歷史文明。東方學的基本性格是文獻學(philology),因此,它和古典研究(classical studies)──也就是西方對於古希臘、古羅馬的研究──有相似的地方。兩種領域也有些交流,梵文與北印度的語言屬於印歐語系,與希臘文關係匪淺,印度學家(Indologists)具有古典學背景的應該不在少數。其實,一直到二次大戰之後的第一代漢學家、日本學家,也還頗有古典研究出身的──他們在大學時主修古典。
  這裡想講的是,西方的區域研究其實有相當長遠的學術基礎,這個基礎是非常菁英式,以冷門語文為基礎所進行的人文研究。二次戰後區域研究的語文基礎,對於語文的重視,在相當的程度上是從這裡來的。英國與歐洲的區域研究,和古典研究的關係,就更深了。
  把美國區域研究的古典學背景和臺灣的日本語文教育相比,可以看到一個巨大的差異。日語在臺灣雖然沒有英語熱門,但也算是熱門語言,特別是最近二十來年。臺灣大學中的日語教育基本上是功能性、實用性的,以有助於就業為導向,和西洋東方學的性質大大不同。臺灣這種性質的教育要發展出日本研究,發展出區域研究,當然不容易,需要一些特別的努力。
  第二點,美國的區域研究是高度制度化的。美國戰後區域研究高度發展的最清楚的徵象,就是制度化,在大學中最徹底的制度化,則是成立學系。這裡並不適合詳細介紹美國區域研究制度化的情況,讓我以簡化的方式來稍做說明。
  美國大學中的區域研究制度大概可以分為兩種形態。一種是有區域研究學系的,一種是沒有的。在名校當中,如哈佛、哥倫比亞、普林斯頓、芝加哥、加州伯克萊大學(UC Berkeley),都有區域研究學系,好像多數研究型大學都有。但區域研究學系並不是無所不包,它們雖然是跨學科的,但大體只包括語文教學、文學、近代以前的歷史、文化研究、哲學思想等,簡單說,只包括人文學科。在規模大或研究性格特別強的大學,區域區分通常相當細,有的學校就比較粗。譬如在我所曾任教的加拿大University of British Columbia,亞洲研究只有一個系,南亞、東亞、東南亞全在一起。
  在有區域研究學系的大學中,還是有區域研究專家散佈在學科學系中,譬如歷史系(一般是近代史)、社會系、人類學系、政治系、地理系,甚至經濟系。這類大學中幾乎一定會有各種區域研究的council,有點像我們的研究中心,但主要功能是協調性的,把校中有關的區域研究專家結合起來。這類組織很正式,有委員,有特定的任務,定期開會。我在1985 年暑假第一次到日本,就是受到耶魯大學Council on East Asian Studies 的資助,前往蒐集研究資料。
  另外一種形態的組織方式,則是沒有區域研究學系,區域研究專家分布在各種語文學系(如東亞語文、斯拉夫語文、中東語文系)和學科系。名校當中,康奈爾、布朗、耶魯、史丹福都屬於這種形態。在這類大學,協調性的研究council或中心就更重要了。
  從這個情況來反觀臺灣的情況,我們幾乎沒有任何制度性的基礎。就日本研究而言,我們有的是單學科的語文學系以及少數的研究中心。非日語系中,日本研究專家極少,研究中心的功能也完全無法跟美國大學中的區域研究council 或中心相比。我在這裡不是要提倡建立區域研究系,如日本研究學系,就我對臺灣高等教育的瞭解而言,臺灣不太可能再以擴張的方式成立區域研究學系。如果有任何這樣的新學系,大概也是由語文學系轉型而來的。此外,我也覺得,沒有必要重複美國或英語系國家在二次大戰後的道路。在日本研究幾乎不可能在學系的層次上制度化的情況下,臺灣要發展這個領域,基本上只有兩個途徑。一是培養各學科中的日本研究學者;另外則是強化日本研究中心,讓這些中心成為有實際作用的,協調學者並培養後進人才(包括研究生)的平台。
  關於美國的區域研究,最後要談的一點是,就學術發展而言,美國的區域研究一直有個問題,到今天依然如此,這就是:區域研究和學科(非語文學科)之間長期存在著緊張關係。學科往往認為,區域研究太「軟」,只重視語文和具體個案,研究不夠深入,不夠有體系。區域研究則認為,學科專家往往只根據理論學說進行論述,對於實際的社會文化──特別是非西方的社會──缺乏切實的認識。
  在臺灣,由於區域研究不甚發達,區域研究和學科的緊張關係還不太存在。不過,在發展日本研究的時候,我們要預見這個問題,要設法讓日本研究在各學科中切實生根,設法取得互利的成果。這樣,也可以為日本研究取得更大的發展空間。

三、臺灣發展日本研究的具體建議
  在演講的最後,我想根據前述的觀察與反思以及其他認識,提出關於在臺灣發展日本研究的具體建議。我的建議是零星不成系統的,僅供參考。
  第一,日本研究要發展,最關鍵的因素在培養人才,我的建議大多環繞這一點。由於現實上臺灣除了日本語文學系,日本研究專家很少,我建議,各日文系可以建立鼓勵學生雙主修的機制,讓日文系中對學術研究有興趣、有能力的同學,可以在比較早的階段培養非語文學科的專業知識。語文學系中一定有對文學興趣不特別高的同學,對於這樣的學生,不一定要導引他們攻讀語學,也可以走其他的路。
  第二,美國國力強大,包括文化力強大,他們在二次世界大戰後發展區域研究,基本上靠自己的力量和資源,不需要被研究區域或國家幫忙,雖然近二十年來情況有了一些變化。但臺灣沒有這個力量,會需要日本各界的協助。因此,臺灣學界如何在關鍵點上與日本學術界和政府合作,以培養臺灣的日本研究人才,是個重要問題。我個人希望,這個議題可以盡快提上議程。盼望日本政府在提供人文社會科學獎學金的時候,注意培養非語文學科出身人才的需求,對於這些領域的學生,在日語文能力的要求上,可以比較有彈性。
  第三,可以考慮鼓勵學生到美國或其他英語系國家攻讀有關日本研究的學位。在當前的學術界,單一的外國語可能已不夠用,可以鼓勵英語基礎好而願意投身日本研究的同學到美國深造。這樣的臺灣學生已經有了,但還很少。到美國和英語系國家攻讀日本研究有個好處,這些國家的大學有非常豐富的培養外國新進學者的經驗,研究生教育往往很有效率。此外,攻讀區域研究一定要到研究區蒐集資料,從事田野調查,或者進修,到英語圈的學生仍然會有密集接觸日本的機會。如果這樣做,可以增加日本研究人才的多元化,透過競爭,提升這個領域的水準與能量。在美國,區域研究不但存在於區域研究學系,學科系中往往也有,主要大學的社會系、人類學系、政治系幾乎一定有日本專家,有時還不只一位。如果有人能到學科系留學,更可以擴大日本研究人才的來源。
  第四,由於臺灣教育界沒有區域研究的制度基礎,將來大概也很難建立,研究中心可能必須填補這個缺漏。雖然在法規上,研究中心大多是功能性的,但在作上,最好設法實體化,而以人才培養為核心工作。如果研究中心不往這個方向發展,恐怕難有其他機構能夠做。
  第五,個人建議,日本研究與東亞研究要有某種程度的區分。區域研究以探索他者、了解他者為主要目的,在臺灣的情境下,東亞研究有時容易變成研究自我,或是研究自我在域外的延伸。日本研究似乎應該以「本格的」日本研究為基礎,在此之上,再求其他。臺灣的日本研究要做到這一點,也需要得到日本學術界的理解,對於研究日本的外國學者,不能從本國研究者的標準或角度來看待,而應盡量以對話的觀點來相處,來交流,鼓勵日本文化、社會、歷史的知識在他國生產,在他國傳播。這對日本文化的「發信力」也是有好處的。
  第六,所有的區域研究,除了學術追求真象、尋求真知的共同目標,應該主要是為本國服務的。區域研究的成果應該盡量用以豐富本國的文化,增加本國對他者的了解。以此,我們發展日本研究,也應注意臺灣自身的需求,日本研究學者可以設法多用中文發表文章,出版專書,特別是通論性的書籍。日本研究界如果能有社會影響力,自然可為這個領域帶來動力。
  我的最後一點看法是:事在人為。美國發展區域研究,也不是資源無限,有些比較小規模的區域研究,一開始也是靠少數幾個人、少數幾個機構發展起來的。有時候,第一代的領導者還不是該領域的專家。即使如此,發展經常還是很快,往往不出十來年,就培養出新一代的學者。臺灣日本研究進展的最清楚指標,個人以為,就是能不能培養出新的、好的學者?如果有這樣的人,這個領域就能生根。

以上,是個人的幾點淺見,請指教。
日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
紀念演講(二)主講人:林碧炤(政治大學副校長)
林碧炤教授簡歷
現  職國立政治大學副校長
國立政治大學外交學系特聘教授
當代日本研究學會理事長
専長領域東亞國際關係、國際關係、國際安全、亞太安全
學、經歷英國威爾斯大學政治學博士
國立政治大學研發長
國立政治大學中國大陸研究中心主任
著  作2013.03, 'PaxAsiana, ' Conference on strategil and corperation in mia and mepacific, 中華經濟研究院東協研究中心.
2013.01, '國際政治與外交政策, ' 五南書局.
2012.09, '國家利益, ' 亞太研究論壇, Vol.0, No.57, pp.1-54.
2012.10, '從東協到「跨太平洋夥伴協定」, '臺灣東南亞國家協會研究中心.2010.10, '國際關係的典範發展, ' 國際關係學報, No.29, pp.11-68.
日文摘要、中文摘要
 
日文摘要
講  題:地域研究と台湾における日本研究
摘  要:台湾のような中小規模の国家における地域研究は、いずれもその学問の属性をあまり重視しない。台湾は1949年以降、地域研究を重視しはじめたが、当時は国家政策に合わせて、その研究内容は情勢分析や情報収集および政策分析に偏っており、特に「中国大陸研究」に集中していた。「日本研究」は当時まだ一つの学術分野にはなっておらず、台湾国外でも同様であった。すぐれた日本語教育の基礎と人材を有していたため、台湾の日本研究が言語教育分野に偏向してしまうのは自然な成り行きであった。今日の台湾は、世界的にみても日本語教師が最も多い地域である。ただその日本語教育の普及が、「哈日(日本好き)」を生み出した主な原因というのではないということは、再確認しておく必要がある。「哈日」から「友日」あるいは「親日」へと進み、「知日」に至るのは長い道のりだが、そこに向かって真剣な学術態度で向き合わなければならない。情報化社会の到来、そして大量の資料の使用は、地域研究の形態を変えた。以前は高い日本語能力が求められたが、今では英語や中国語での日本研究も格段にしやすくなった。しかし、学際的研究や社会科学の方法論が、今は必要不可欠である。「日本語教育」から「日本研究の社会科学化」への進化には、知識コミュニティの努力や外来資源の賛助、そして明確な目標がなくてはならない。我々は各界から台湾の知識コミュニティにさらなる激励や協力が寄せられ、この学術分野を盛り上げてくれることを期待している。
 
中文摘要
講  題:區域研究與日本研究在台灣
摘  要:
區域研究在台灣,如同在其他中小型國家,大家一樣不太重視它的學門或學科屬性。台灣在一九四九年之後逐漸重視區域研究,為配合國家政策,當時的區域研究偏向情勢分析,情報收集及政策分析,尤其集中在「中國大陸研究」。「日本研究」在當時還沒有成為一門學科,在國外也沒有。由於有很好的日語教學基礎及人才,以致臺灣的日本研究偏向語言教學是很自然的結果。今天的台灣是全世界日語教師最多的地方,但需要強調的是,日語教學不是造成「哈日」的主因。從「哈日」進入「友日」或「親日」,再到「知日」則是一個比較漫長的過程,必須以嚴肅的學術態度去看待。資訊時代的來臨加上巨量資料的使用,改變了區域研究的型態。以前日語的要求很高,現在使用英語或中文來研究日本比從前更方便。不過,科際整合及社會科學的方法是非常必要的。從「日語教學」進到「日本研究的社會科學化」是一個演進的過程,一定要有知識社群的努力、外來資源的贊助及明確的目標。我們衷心的期待,也希望各界給予臺灣的知識社群更多的鼓勵及協助,讓這個學術園地綠意漾然。
日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
紀念演講(三)主講人:竹內洋(日本關西大學東京中心長)
竹內洋教授簡歷
現  職日本關西大學東京中心長
日本京都大學名譽教授
日本關西大學名譽教授
専長領域教育社會學、歷史社會學
學、經歷京都大學教育學部教育社會學博士
京都大學教育學研究科科長(同教育學部長)
關西大学人間健康學部長
著  作丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム中央公論新社 2005
学歴貴族の栄光と挫折 講談社学術文庫 2011
メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却 中央公論新社 2012
日文摘要、中文摘要
 
日文摘要
講  題:近代日本のエリートと旧制高等学校
摘  要:
1886年に高等中学校として誕生し1894年に高等学校となった旧制高等学校は、近代日本のエリート養成学校であった。旧制高等学校は同年齢男子の1%が就学した学校であり、そのほとんどは帝国大学に進学した。1950年に廃校になったが、最盛期には35校(帝大予科を含めると38校)あり、台湾には台北高等学校と旧制高校に準じた台北帝大予科があった。近代日本の政治家、経済、高級官僚、文化人の多くが旧制高校から帝国大学に進んだ者によって成り立っており、高度成長時代という戦後の時代をつくった政治家である池田勇人、佐藤栄作首相も旧制高等学校出身者であった。近代日本のエリートの社会化(価値、規範、技能、態度の内面化)をいうなら、帝国大学よりも旧制高等学校の社会化の影響がはるかに大きい。これは、英国のエリートにとって、オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)の社会化よりもパブリックスクールでの社会化の影響が大きいことと似ている。また、パブリックスクールも旧制高等学校も独自の校風をもっていたが、それぞれ共同体を形成していたところも相似である。旧制高校のエリート養成機能は、英国パブリックスクールと比較することでよく理解できる。
 
中文摘要
講  題:近代日本のエリートと旧制高等学校
摘  要:
所謂舊制高等學校,是近代日本的菁英學校。1886年先以高等中學校的姿態誕生,再於1894年轉變成高等學校。是同齡男子當中不到1%的人能就讀的學校,而幾乎所有學生皆再升學進入帝國大學。全盛時期有35所高等學校(包含帝大預科則有38所)。台灣則有台北高等學校、相當於舊制高等學校的台北帝大預科。近代日本的政治家、經濟家、高級官員、高知識份子的大部分多為從舊制高校進而帝國大學畢業生的出身而發跡。舊制高校雖然在1950年面臨廢校,但創造出戰後高度成長時代的政治家池田勇人,以及以佐藤榮作首相為首,財經界人士、高級官員、新知識分子的大半多出身於舊制高等學校。提及近代日本菁英的社會化(價值、規範、技能、態度的內化),比起帝國大學,舊制高等學校的社會化影響更為深遠。日本的情形與英國類似,對英國的菁英來說,比起牛津.劍橋大學,私立中學(以上流子弟為對象的男生私立寄宿學校)的社會化影響也較為顯著。此外,私立中學和舊制高等學校都擁有獨自特色的校風,形成私立中學共同體或舊制高等學校共同體上這點也極為相似。本次演講希望藉以與英國私立中學的比較,闡明舊制高校的菁英養成機能。
日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
祝辞

       ・亜東関係協会-李嘉進会長
       日本は我々にとって重要な貿易相手である。台湾国内の日本研究の発展はめざましく、2009年9月に政治大学の「当代日本研究センター」成立以後、現在では10校の大学に日本研究センターが設置されている。台湾大学は国内高等教育のリーダーとして日本研究センターを設立し、国内9番目の日本研究の専門機構を持つ大学となった。我が国の日本研究の水準をより一層引き上げてくれるものと期待している。

       ・日本交流協会-樽井澄夫代表  
       日台間の学術およびその他の領域における交流は盛んであり、両国は切っても切れない深い関係で結ばれたパートナーと言える。台湾大学は東アジアの人文社会科学研究の重要な拠点であり、日本研究センターの設立は非常に意義深いものである。台湾大学日本研究センターは台湾における日本研究のプラットフォーム、さらには発信基地となり、日台の学術交流や若手日本研究人材の育成に大きく貢献してくれるだろう。

       ・台湾三井物産股份有限公司 東山三樹雄董事長  
       日本と台湾は歴史的なつながりも深く、近年は民間での交流も盛んである。経済面では、日台はこれまで長きに渡り良好な関係を維持してきた。日本企業にとって台湾は中国大陸やアジア地域進出のための拠点であり、また重要なビジネスパートナーでもある。両国の企業は専門知識や技術面で交流や相互協力の機会が多く、台湾に拠点を持つ台北市日本工商会会員の144社も積極的に経済活動を展開している。台湾経済の発展に寄与するには、双方の国民の相互理解が非常に大切である。台湾大学日本研究センターが舵を取り、さまざまな学術領域の専門家を集めて日本研究のレベルをさらに向上させるようとすることは、経済界にとってもその意義は大きい。在台企業として、台湾大学日本研究センターの発展を全力で支援していきたい。

日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
学術交流協定の締結

       開所式に合わせて、名古屋大学「アジアの中の日本文化」研究センターと学術協定の調印式を行った。名古屋大学の坪井秀人センター長と台湾大学日本研究センターの徐興慶主任によって協定書に署名調印された後、坪井秀人センター長から以下の挨拶があった。

       この度は本センターと台湾大学日本研究センターとの間で学術交流協定が締結され、大変光栄である。本センターは、「日本近現代文化研究センター」(2008年成立)を引き継いで、2013年に発足した。日本近現代文化研究センターでは、我々は「東アジアにおける日本」という視点を重視し、研究を進めてきた。「アジアの中の日本文化」研究センターは、それまでの活動を拡大・発展させたものであり、アジア、特に東アジアの日本文化研究に重点を置いている。名古屋大学と台湾との交流は密接で、多くの台湾の学生が本校に留学に来ており、日本の大学で教鞭を取る人もいる。日台間の関係は日本研究にのみ表れるのではなく、台湾研究等の他の領域からも多くのことが分かる。私自身も日本文学専門だが、台湾文学からヒントを得ることもある。現在、日本研究者は日本語に翻訳された台湾の書籍を参考にしながら研究を行っている。いわゆる関係学では「AがBに与えた影響」という一方向にのみ関心を持つのではなく、双方が同様の思惟をもって共同で研究を発展させていかなければならない。この面から見ると、本センターと台湾大学日本研究センターは共に新たな研究の出発点に立ち討議していると言え、その成果が期待される。

日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
総合討論(一)日本研究の人材の育成について-日本語教育から日本研究まで
パネリスト 河野明子(交流協會文化室主任)
徐翔生 (政治大學日文系系主任)
林水福 (南臺科技大學應日系教授)
馬耀輝 (淡江大學日文系主任)
陳淑娟 (東吳大學日文系教授)
黎立仁 (台中科技大學日本研究中心主任)
賴振南 (輔仁大學外語學院院長)
李天軼 (致理技術學院應日系主任)
曾秋桂 (台灣日本語文學會理事長)
簡曉花 (中華大學應日系主任)

       言葉は異文化理解における最も重要な要素である。台湾における日本語教育は、高等教育機関における学習者数が最も多い。2012年に十万人を上回っている。長年にわたる各大学の教員の熱意と尽力により、台湾の日本語教育は世界的にも高い水準に達し、日本文学・言語学などの分野に日台関係を支える優秀な人材を送り出してきた。

       しかし現在の日本研究においては、政治、国際関係、文化・思想の分野では一定の研究成果を上げているものの、まだ初歩的段階にあり、さらなる努力を要する現状がある。また台湾における日本研究の位置づけも、必ずしも明らかとはいえない。台湾人による日本研究の成果は、最終的に台湾に帰すること、また台湾との緊密な繋がりが見えなければならないこと、それらの発展性を見据えなければ、日本研究は絵空事にすぎないということになりかねない。

       よって、台湾で育ってきた多くの日本語の人材を日本研究に進むように、いかに育成していくか、そのためには次の二つの面が考えられる。

       1. カリキュラムの調整:各大学は各自の発展方向に沿い、日本政治、経済、経営、社会文化などの領域の教員を一定した比例で招聘し、特定の領域に関わる一連の授業内容を設計することによって、修士・博士課程に繋がる予備専門知識を学生に習得させる。また、日本語能力が過度に重要視されている今までの考えを見直し、言葉と他の専門領域の繋がりを強化するため、「日本研究単位学程」を設立するのも、一つの方法であると考えられる

       2. 研究視点の拡大:自己本位を捨て、日本という国の枠を超え、異なった視点から日本を研究する。分野を越えた横断的提携や他国との比較によって、国際共同研究を進めれば、新たな観点や見方を生み出すことができるだろう。生徒たちを学術研究会に参加させたり、全国院生ワークショップを開催したりすることによって、知識を深め、問題意識を高める必要がある。

       グローバル時代の今、外国語能力の向上のみならず、外国語能力と専門知識との連携も重視すべき。外国語教育機関は、新時代にふさわしい人材を育成する際には、この点が十分考慮される課題である。

日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
綜合討論(二):台湾における日本研究の課題と展望
パネリスト 李嘉進(亞東關係協會會長)
岡田健一(交流協會秘書長)
張啟雄(中央研究院近史所研究員)
甘懷真(臺灣大學歷史系主任)
吳文星(臺灣師範大學歷史系教授)
楊承淑(輔仁大學跨文化研究所所長)
劉序楓(中央研究院人社中心副研究員)
何思慎(輔仁大學日本研究中心主任)
陳永峰(東海大學跨領域日本區域研究中心主任)
蘇顯揚(中華經濟研究院日本中心主任)
劉長輝(淡江大學日文系副教授)
蔡東杰(中興大學國際政治研究所所長)

       バブル崩壊後、日本経済は20年以上にわたる深刻な不況に陥った。それとともに、各国の日本語学習者数が減り、日本研究は「顕学」としての地位を失うかもしれない。それは日本研究が、かつてほどには重視されなくなったことを反映しているかもしれない。

       現在、台湾国内では日本政治、経済、歴史、社会や文化を研究する学科が多いが、日本研究を専門とする教師が少ない。また、近年各大学は次々と「日本研究センター」を設立しているが、制度・人才・研究内容などについて様々な課題に直面している。最近の調査によれば、台湾では「言語」、「文学」、「文化」を主な目的とする日本語学習者が多いが、「日本政治、経済と社会知識」に興味をもつ日本語学習者が少ない。日本語と人文社会科学領域との繋がりをいかに強化するか、その突破口をどこに見いだすか、ということである。

       日本研究の展望に関する意見は以下の四点にまとめられる。①地域的にして世界的視野から日台関係を考えなければならない。「被侵略者」、「非植民者」の対立図式から抜け出して、台湾と日本との共同価値を探し「脱植民地化の日本観」を創出する。②台湾と日本以外の国と連携して、多国間で相互補完できる研究チームを組む。③各大学の「日本研究センター」は若手人材を育成するために、制度面に力を注ぐべきである。④日本研究に関する国内の学会・学者との連携を検討して専門分野を広げる。

       最後に台湾日本研究学会理事長何瑞藤先生の閉幕の辞により、盛会裡って会を閉じることができた。

日本研究中心開幕典禮紀念演講暨論壇-活動花絮
日期:2014.2.22 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心