この講演では、新渡戸稲造が唱えた「武士道」を中心に、「日本の心」とは一体どのようなものなのかという点について解説していただいた。
日本人の宗教観は、多くの異なる信仰と考え方が交じり合ってできたものである。日本の自然信仰とは、森羅万象には神が宿っており、かつ全ての人間は同じ源からきたひとつの家族だとする考え方である。6世紀、仏教が日本に伝来し、初めは神道と衝突したものの、次第に融合していった。儒教は5世紀のころに中国から伝来し、政治において中心的な思想となった。これら神道・仏教・儒教の三者は互いにまざりあい、日本人の心を形成していったのである。
新渡戸稲造博士は教育家であると同時に、政治家でもあった。第一次世界大戦中は国際連盟副秘書長として、世界平和の維持に尽力した。また、彼は『武士道』の作者でもある。「日本教育は宗教教育がないのになぜ成立するのか」という疑問について10年もの間考え、ついに「武士道」が日本人の魂を支えているという答えに行き着いた。
日本は鎌倉時代になり、武士文化が形成され、江戸時代まで続いた。「武士道」は日本人の心に深く入り込み、日本人にとっての中心的な思想となった。他の大宗教とは異なり、日本の「武士道」には典籍がないが、儒・仏・道教の概念を融合し、日本人の生活や人生の規範となった。
武士道には、「義」、「礼」、「仁」、「名誉」の4つの美徳がある。その中で最も重視されるのが、「義」である。「正義」とは、「正しいことをする」ことを意味する。日本人の性格には、「人より抜きんでない」、「みんなと同じことをする」という特徴があるが、私はこれは日本人の欠点だと考える。しかしこのことは、日本人は人のために考えるという、「他人の気持ちを理解できる心」を持った民族だとプラスに捉えることもできるのである。
2つ目の美徳は、「礼」である。日本人は誰かの家を訪問した際、持参したおくりものを「つまらないもの」と言う。これは、相手の高貴さ(相手が普段身に着けているもの等)と比べると、どんな良い品物であっても全く及ばないという気持ちで用いられているものであり、他人を尊重する気持ちが習慣となったものである。
3つ目は、「仁」である。日本は平和な島国であり、人々の心に「敵をなぎ倒したい」や「敵を全滅させたい」といった闘争心はない。源平合戦では、源氏の大将熊谷次郎直実は合戦終結後に髪を落として僧となり、自分が殺した敦盛の供養に一生を捧げた。日露戦争では、東郷艦隊が日本に負けたロシアの軍官を助け、負傷者を病院に送った。この2つの話には、日本の武士道における気遣いや相手の「仁」への敬愛の美徳があらわれている。この美徳は元々、孔子が確立した儒教において、最も核心的な徳目であった。
4つ目の武士道の精神は、「名誉」である。命とはもとより尊いものであるが、もし命よりも大事なもののためだとしたら、私達は自分を犠牲にすることができる。これは、まさしく武士道の精神である。1945年の敗戦後、昭和天皇は自分を犠牲にして国民の心を守りたいと望んだが、これもまた、武士道の美徳が体現されたかたちなのである。
新渡戸博士は第二次世界大戦の際アメリカに赴き、アメリカに対して日本の立場を説明した。各方面から批判を受けたが、それでも平和のために努力を続け、最後はカナダのビクトリア・ハーバーでその生涯に幕を下ろした。現在、私たちは政治関係が複雑な時代に生きている。日本は中国の顔色を窺い、なかなか台湾との距離を縮めることができない。しかし、私は政治関係がどうであれ、台湾と日本の人々が互いに絆を深めていき、良好な関係を保ち続けさえすれば、それは結果としてアジアと世界の平和に貢献することになると考える。大切なのは、私たちが平和を愛する心を持ち、ともに手を取り合い未来に向かって進んでいくことなのである。
質疑応答
(一)提問:
一:先生ご自身はこれまでの人生で、武士道を感じたことはあるか。また、それはどのような経験なのか。
答:学生時代、自分の命とは一体何なのか、どうやって生きていくべきかといった問題について考えたことがある。しかしその後、自分の行為が誰かのためになり、誰かの笑顔が見られるなら、自分の存在意義を感じることができると気づいた。私たちの命は、他人とのつながりの中に存在する。ゆっくりと死に向かっているとはいえ、死は終わりではなく、私たちの命は他人とのつながりの中で生き続けていく。私のこのような気付きは、武士道の「大義」の体現だと言えるのではないだろうか。
二:日本の武士道は儒・仏・道教等の思想を融合したものであるが、これらの思想が生まれた国では武士道は発展していない。これはなぜか。
答:日本は各国の信仰を融合し、かつそれらが平和に共存する国である。これも、武士道における「互いに尊重しあう」という精神にあらわれており、日本のいいところの1つだと考える。また、真の武士道とは全ての武士階級によってつくられるものであるが、「国のために死ぬ」という精神(これは美徳とは言えないが)は、「大義」のために自分を犠牲にするという情操であり、古くから日本人の心にあり続けてきたものなのかもしれない。
三:武士道には決まった典籍や教育がないのに、なぜ日本人に浸透しているのか。
答:2で述べた理由から、武士道は典籍がなくとも、長く人々の心に生き続けていると考えられる。
四:「死を恐れない」精神は、武士道の体現といっていいのか。
答:命は尊いものであり、決して粗末に扱ってはならない。もし自分の命が他人や世界とつながっていて、共にあると感じることができたなら、その生命はより大きく重要な生命体の中で存在することになる。このような考え方は、武士道が発展したものである。ガンジーの、「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるがごとく学べ」ということばを、皆さんにおくりたい。
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