2004年以降、本学で実施されてきた間文化的シティズンシップの様々な教育実践は、対立の絶えない東アジアがともに生きることを願い行われてきたものだが、交流は当初、主に日韓を対象としていた。2010年代からはByram(2008)の「間文化的シティズンシップ教育としての外国語教育」の枠組みを取り入れ、学んだ言語を用い両国間に残された政治的・歴史的な課題を、対話により解決する手法を用い、相応の成果を収めてきた。しかしこれを日中など、東アジアに拡大しようとした時、国家間に残された政治的・歴史的な課題を対話により解決する道は途中で閉ざされてしまった。これを打開し、東アジアの学生が学んだ言語を用いて対話を行い、過去を克服、ともに生きていくためには、普遍主義でも相対主義でも難しく、多元主義の立場から実践を行おうという提言をなしたいと考える。