近代以降、日本で起きたあらゆる変革は西洋を避けては語ることのできない事柄であった。近代化という時代文脈の中で、伝統と西洋思想との関係をどう把握すべきかが、近代日本の知識人たちが共通に直面していた課題である。
本講演ではこうした近代化という時代の課題から出発し、明治初期に代表的な自由民権思想家、ロマン主義詩人である北村透谷(1868 -1894)が提唱した「厭世思想」に着目し、彼の「厭世」が日本の伝統と西洋のロマン主義思想をどのように捉えていたかを考察する。透谷の「厭世」は消極的なペシミズムではなく、積極的な反抗精神である。そのような彼の精神は、政治から文学への転向、武士家庭からキリスト教に入信した経歴、漢学の教養を持つ一方ロマン主義に憧れたことなどに示される多面性から生じたものであった。こうした透谷の多面性がこの時代の一つの断面を示し、幕末から明治初期にかけての有志文人が日本の近代化をどのように考えていたのかが見えてくる。さらに、歴史の軌跡は透谷が考えた方向に進まなかったからこそ、彼の構想は継承されなかった「もう一つの近代化」の可能性として、日本の近代化を理解・再考することに学術的な意味を持っている。