林永強演講活動
林永強演講活動 活動花絮
日期:2019.10.07 | 單位:臺灣大學日本研究中心
        

     
林永強演講活動
日期:2019.10.07 | 單位:臺灣大學日本研究中心
 
日語與哲學:以「こと」(事)一詞為軸心
概 要

  本文旨於從日語「こと」(事)一詞,再思日語與哲學、以至日本哲學的潛力與議題。重點在於:一、「こと」與日本民族、二、「こと」的哲學意涵,三、「こと」與日本哲學。從結論而言,「こと」一詞縱使在語言上有其特質,但卻不能說是日本民族專有,一種文化本質而構成的語言。當中所含的特質其實包含了不同的文化元素,而非限於單一文化。對此,本文會集中討論和辻哲郎和木村敏的觀點。哲學的思考無疑必須透過語言,而不同的語言又必有其特質。尤自京都大學在一九九五年創立世界上唯一一個「日本哲學史」的主修以降,「日本哲學」的正當性(legitimacy)論爭不斷,其中一個議題就是日語與日本哲學的關係。日語是否日本哲學的一個必然條件(necessary condition)?如是,日語是否應該作為日本哲學的本質(essence)?日本哲學的正當性雖然可以說是基於日語的特質,但當中的特質是混雜了不同文化,並且隨時空不斷變化。另外,這種跨文化式的日本哲學,同時展現了以一種不同於「歐洲中心」(Eurocentric)的哲學論述。當然,它不可能亦不應該被視為一種「逆向東方主義」(reverse orientalism) ,因為其本身並非旨於呈現一種純粹的「東方」或「日本」哲學。換言之,日本哲學是一套跨文化哲學,一方面脫離文化本質主義,另方面則試圖突破「歐洲」和「東方」的哲學植民化。

 
日本語と哲学:「こと」を中心として
概 要

 本論文は「こと」ということばから、日本語と哲学、そして日本哲学の可能性と問題性を再考したい。課題としては、一、「こと」と日本民族、二、「こと」における哲学的意義、三、「こと」と日本哲学。結論から言うと、「こと」は言語的に特徴を持つが、日本民族の専売特許や文化の本質によって形成されたことばではない。小論では、和辻哲郎や木村敏の見解を中心に考察しておきたい。哲学は言うまでなく言語を通しての思考実験であり、それぞれの言語の特徴も持っている。しかし、「特徴」とは、一つの文化に限らず、多様な文化が含まれているのだ。一九九五年に京都大学で「日本哲学史」という世界唯一の専修を創立してから、「日本哲学」という正当性(legitimacy)の問題をより一層激しく論争している。その中で日本語と哲学との関係は、一つの重要な課題となっている。日本語は日本哲学の必要な条件(necessary condition)、また本質(essence)なのか。日本哲学の正当性は日本語の特徴に基づいて形成されるが、日本語そのものは多様な文化が含まれ、時間と空間によって変わっていく。このようなトランスカルチュラル(transcultural)日本哲学は、ヨーロッパ中心(Eurocentric)と異なる論述を展開させる。それと同時に、一つの逆オリエンタリズム(reverse orientalism)でもない。日本哲学は決して一つの純粋な「東洋」、または「日本」の哲学ではない。言い換えれば、日本哲学は一つのトランスカルチュラル哲学(transcultural philosophy)であり、文化本質主義を超越する一方、ヨーロッパや東洋哲学の植民地化から逸脱する。