台日文化交流教室(19):台日文化交流之回憶與展望
活動花絮
日期:2019.06.21 | 單位:臺灣大學日本研究中心
   

   
台日文化交流之回憶與展望
日期:2019.06.21 | 單位:臺灣大學日本研究中心

  在我進入輔仁大學日本語文學系就讀的隔年(1972),中華民國(台灣)宣布與日本斷交。鄰居大叔勸我趕快轉到韓文系比較好,但由於輔仁大學沒有韓文系,只好因此作罷。現在回想起來當時沒有轉系真是太好了。

  由於我畢業於日文系,30年來一直從事著對日宣傳與文化交流的工作,從1983年開始算起至2019年以駐日代表處顧問兼台灣文化中心主任退休為止,在日本一共任職了24年。這段期間我在第一任代表馬樹禮先生至第十二任代表謝長廷先生等所有駐日代表底下服務,因此有機會見證了許多歷史事件。其中,我所親身參與之印象最深刻的三件事,是各家日本媒體恢復台北分社、台北國立故宮博物院在日本舉辦「神品至寶」展、以及台北駐日經濟文化代表處台灣文化中心的成立。

  新聞媒體不管在哪個時代都走在時代的尖端,而其言論會對國家的動向以及外交關係有很大的影響。至1998年10月為止日本媒體只有產經新聞擁有台北分部,但從那年的10月開始,以NHK為首的全國性報紙及電視台等,共有10家大型傳播媒體陸續設置了台北分部。自80年代起日本的報社及博物館一直希望台北國立故宮博物院的文物能在日本展出。2011年日本國會通過「海外美術品等公開促進法」後,終於在2014年6月得以實現。美國等世界大國幾乎都在東京設有各自的文化交流中心,而台灣也終於在2015年於東京的虎之門開設了「台北駐日文化經濟代表處台灣文化中心」,我將說明這些事件是如何地影響著台日交流。

  台灣與日本之間在文化與歷史上的關係非常深厚,經歷了最近幾年的相互協助,彼此建立起良好的國際關係和國民情感。我想以身為在台日交流的前線擁有24年經驗的過來人,針對要如何深化此堅固的情誼提出一些建言。

 私が輔仁大学日本語学科に入学した翌年(1972)に中華民国(台湾)は日本と国交を断絶した。近所の叔父さんから早く韓国語学科に転学科した方がいいと勧められたが、輔仁大学に韓国語学科がなくて実現できなかった。しかし、今から顧みてあの時に転学科しなくて幸いだった。

 日本語を専攻したため、30余年来ずっと対日広報と文化交流の仕事を携ってきた。1983年から2019年駐日代表処顧問兼台湾文化センター長として退官まで合わせて24年間日本で勤務した。その間に国交断絶後の初代駐日代表馬樹礼先生から現在十二代目の謝長廷先生まですべての駐日代表の下で働いた経験があり、多数な歴史的な出来事を立ち会った。その中に以下の三件は私と直接にかかわったので一番印象深かった。それらは日本のマスコミ各社が台北支局を回復されたこと、台北国立故宮博物院が日本で「神品至宝」展を開催できたこと、駐日代表処台湾文化センターが開設されたことであった。

 マスコミはいつも時代の先端を走ってその言論は国の動向や外交関係を大きく影響している。1998年10月まで日本のマスコミは産経新聞一社だけが台北支局を設けていた。その年の10月からNHKを含め、全国紙や通信社、テレビ局など大手マスコミ計10社が次々と台北支局を設置した。80年代から日本の新聞社や博物館が台北国立故宮博物館の文物を日本で展示したい要望がずっとあった。2011年日本の国会で「海外美術品等公開促進法」が通過されてから2014年6月にやっと日本で展示することが実現された。アメリカをはじめ世界主要国家がほとんど東京でそれぞれの文化センターを設立している。台湾は2015年にやっと東京の虎ノ門で「台北駐日経済文化代表処台湾文化センター」という名称で開設した。それらの出来事は台日文化交流にどう影響するかを詳しく説明する。

 台湾と日本は歴史的、文化的な繋がりが深くて、近年お互いに助け合って非常に良好な国際関係と国民感情を維持している。その堅い絆をどう深めて行くのか。台日交流の現場を24年間も立ち会った経験者として率直に提言する。