私が輔仁大学日本語学科に入学した翌年(1972)に中華民国(台湾)は日本と国交を断絶した。近所の叔父さんから早く韓国語学科に転学科した方がいいと勧められたが、輔仁大学に韓国語学科がなくて実現できなかった。しかし、今から顧みてあの時に転学科しなくて幸いだった。
日本語を専攻したため、30余年来ずっと対日広報と文化交流の仕事を携ってきた。1983年から2019年駐日代表処顧問兼台湾文化センター長として退官まで合わせて24年間日本で勤務した。その間に国交断絶後の初代駐日代表馬樹礼先生から現在十二代目の謝長廷先生まですべての駐日代表の下で働いた経験があり、多数な歴史的な出来事を立ち会った。その中に以下の三件は私と直接にかかわったので一番印象深かった。それらは日本のマスコミ各社が台北支局を回復されたこと、台北国立故宮博物院が日本で「神品至宝」展を開催できたこと、駐日代表処台湾文化センターが開設されたことであった。
マスコミはいつも時代の先端を走ってその言論は国の動向や外交関係を大きく影響している。1998年10月まで日本のマスコミは産経新聞一社だけが台北支局を設けていた。その年の10月からNHKを含め、全国紙や通信社、テレビ局など大手マスコミ計10社が次々と台北支局を設置した。80年代から日本の新聞社や博物館が台北国立故宮博物館の文物を日本で展示したい要望がずっとあった。2011年日本の国会で「海外美術品等公開促進法」が通過されてから2014年6月にやっと日本で展示することが実現された。アメリカをはじめ世界主要国家がほとんど東京でそれぞれの文化センターを設立している。台湾は2015年にやっと東京の虎ノ門で「台北駐日経済文化代表処台湾文化センター」という名称で開設した。それらの出来事は台日文化交流にどう影響するかを詳しく説明する。
台湾と日本は歴史的、文化的な繋がりが深くて、近年お互いに助け合って非常に良好な国際関係と国民感情を維持している。その堅い絆をどう深めて行くのか。台日交流の現場を24年間も立ち会った経験者として率直に提言する。