主講人:黃士娟(臺北藝術大學建築與文化資產研究所副教授兼所長) 講 題:台灣日治時期建築
日治時期在官方主導之下,大量興建帶有西洋建築語彙的公共建築,以呼應新的統治者展開的新時代,同時也引入日本宗教神道教,這批類型頗多之洋風公共建築與和風的神社建築,成為臺灣各城市重要地標。
日治時期政治核心為總督府與其官廳建築群,總督府以其政治地位座落於臺北城內重要位置,其周遭分布各官廳,形成統治中心,其次為位於官廳周邊的熱帶醫學研究重鎮的臺北醫院,以及執行近代法治觀念的法院,代表著殖民統治者以科學、文明、法治經營臺灣。
過去知識取得途徑從傳統書院師徒制,日治則改為學校和圖書館,學校和圖書館之建築形式多以洋風建築形式為主,並且因應臺灣氣候、天災,採用造價較高但堅固耐用的磚構造、鋼筋混凝土造,圖書館則有異於過去私人收藏的圖書室,提供一個自由獲取知識的殿堂,打破傳統社會中少數人獲教育的狀況,教育的普及和提升,讓更多人民掌握知識,成為近代市民社會中的一份子。傳統城鎮、聚落的公共空間通常為廟前廣場,而日治之後,各地陸續興建公會堂,活動內容多樣化,成為新興市民活動場所,日治時期引入日本神道教,初期以日本人為主,至日治末期,國家神道推動集體參拜,成為老一輩幼時記憶。
自荷西時期開始雖曾出現洋式建築如教堂、城堡,清朝洋務運動也引入洋式建築,但經由受正規建築教育的建築技師進行設計,卻是日治時期才開始,在統治者的政策下,臺灣並非走向全面日本化,而是以近代化為主,這也是為何日治結束數十年之後,公共建築仍廣為市民所用,並成為文化資產。
講 師:黃士娟(臺北藝術大學建築與文化資產研究所副教授兼所長) テーマ:台灣日治時期建築
日本統治時代には、統治者が展開した新時代の到来と日本の宗教である神道の導入に対応して、西洋建築の名称を持つ公共建築が政府の下に数多く建設された。これらの洋風の公共建築物や日本風の神社建築物は台湾の各都市の重要なランドマークとなった。
日本統治時代の政治の中心は総督府とその官舎であり、総督府や政治の拠点は台北の要所に位置し、その周辺に官舎が分散して統治の中心を形成した。熱帯医学研究の一大拠点である台北病院、近代的な法治概念を施行する裁判所などがあり、科学文明、法治の方面から台湾が経営されていた証であった。
知識習得の手段は、伝統的な師弟制の学校制度から、日本統治時代には学校や図書館のような洋風建築が主流となり、台湾の気候や自然災害に対応して、より高価で耐久性のあるレンガ造りや鉄筋コンクリート造りの建物が建てられるようになった。図書館は、これまでの個人のコレクションとは異なり、知識への自由なアクセスを提供し、伝統的な社会における少数の特権階級のための教育の現状を打破し、教育の普及と充実を図った。それによって、より多くの人々が知識を獲得し、現代の市民社会の一員となることができた。
町や集落の伝統的な公共空間といえば、お寺の前の広場が一般的であったが、日本統治時代以降、各地に次々と公会堂が作られ、活動が多様化し、新たな市民の拠点となった。この時期にも日本の神道が導入された。初期は日本人が中心であったが、後期には、国家神道が集団参拝を推進し、高齢者時代の若かりし頃の記憶となった。
オランダ統治時代から教会や城などの洋風建築物が建てられ始め、清の洋務運動によって洋風建築物が取り入れられたが、正式な建築教育を受けた建築技術者が設計を行うようになったのは日本統治時代に入ってからである。統治者の政策の下、台湾は完全な日本化ではなく、近代化に向かったのである。だからこそ、日本の統治が終わって数十年経った今でも、公共建築物は広く市民に利用され、文化財になっているわけである。
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