台日文化交流教室(18):牽繫台灣和山口之旅-從鮮為人知的台日歷史談起
活動花絮
日期:2019.03.08 | 單位:臺灣大學日本研究中心
   

   

   
牽繫台灣和山口之旅-從鮮為人知的台日歷史談起
日期:2019.03.08 | 單位:臺灣大學日本研究中心

  丈夫的叔公在初次會面時,以流暢的日文和我說道:「我可是受到遺忘的日本人啊!」當下,我對自己的無知感到強烈的羞恥及憤怒。

  聽說叔公曾以日本士兵的身份,出征到菲律賓。我來台灣居住前,甚至對台灣曾是日本領土這件事都不大清楚。包含自己在內的日本人,竟對台灣的事情如此不了解,對於這件事我感到氣憤。在那之後,我將當時的憤怒變為煤炭,它燃起我對書寫台灣的熱情。

  日治時期,台灣總督府(現今的總統府)設置於台灣的台北市,就任為總督的日本人共有19位,其中就有5位出身山口縣。

  除此之外,當時作為台灣第一家百貨公司的「菊元百貨」和如今成為台南市高人氣觀光勝地的「林百貨」,它們的創辦人都來自山口縣;而指定為日本國家特別天然紀念物的秋吉台,在戰後美軍轟炸演習中,是灣生(wan-sei/日治時期在台灣出生的日本人)的縣知事讓它得以倖免;台灣如今都能吃到的蓬萊米,其故鄉實際上就是山口縣。以上種種台灣和山口之間的淵源逸聞,越是調查,越是如源源不絕的溫泉般湧出。

  邊漫步台灣街道,邊進行調查之際,發現許多山口縣前人們留下的足跡,我對此感到驚訝及喜悅。這是在告訴遠嫁異國的自己,隔海的故鄉是真真切切地相連一塊兒。還有,我認為透過台灣這塊濾鏡,能再從其他角度發現山口縣這塊土地擁有怎樣的歷史及地理環境,以及其在世界中扮演什麼樣的角色。以他人為鏡,可再審度自身,便是這個道理。而「串起台灣和山口縣的旅行」也是透過台灣窺得的「山口發現錄」。



`

 初めて会った夫の大叔父からたいへん流暢な日本語で「わたしは忘れられた日本人なんですよ」と話しかけられ、じぶんの無知さかげんに強烈な恥ずかしさと怒りを覚えた。

 大叔父は日本兵としてフィリピンまで出征したという。台湾で暮らすようになるまで、かつて台湾が日本の領土だったことさえ、わたしは朧気にしか知らなかった。自分をふくめた日本人が、いかに台湾について知らないかということへの怒り。あのときの怒りが、その後に台湾について書く情熱をもやす石炭になっている。

 日本時代には台湾の台北市に台湾総督府(現在の総統府の建物)が置かれ、その総督に就いた日本人は全部で19名いるが、その中で5名が山口県出身者だ。

 他にも、日本時代にできた台湾初のデパート「菊元百貨」や、台南市で人気の観光スポットになっている「林百貨」の創業者が山口県出身だったり、日本の特別天然記念物に指定されている秋吉台を戦後に米軍の爆撃演習から守ったのが湾生(わんせい/日本時代に台湾で生まれた日本人)の県知事であったり、台湾でいま食べられている蓬莱米の故郷がじつは山口県であることなど、調べれば調べるほど、台湾と山口のつながりエピソードは枯れることのない温泉みたいに湧き出してくる。

 台湾の街を歩いたり調べたりしているうちに、山口の先人たちの足跡を多く見つけたときの驚きと喜び。それは異国に嫁いだ自分の足元が、海を越えた故郷とたしかにつながっている事を教えてくれた。そしてさらに台湾というフィルターを通すことで、山口県という土地がどのような歴史と風土を持ち、世界のなかでどういった役割を担ってきたのかを、また違った角度から見つけられたように思う。他者を鏡として、ひとは自らの姿を見つめ直すことができる。そんなわけで。

 『台湾と山口をつなぐ旅』は、台湾を通してみる「山口発見記」でもある。