初めて会った夫の大叔父からたいへん流暢な日本語で「わたしは忘れられた日本人なんですよ」と話しかけられ、じぶんの無知さかげんに強烈な恥ずかしさと怒りを覚えた。
大叔父は日本兵としてフィリピンまで出征したという。台湾で暮らすようになるまで、かつて台湾が日本の領土だったことさえ、わたしは朧気にしか知らなかった。自分をふくめた日本人が、いかに台湾について知らないかということへの怒り。あのときの怒りが、その後に台湾について書く情熱をもやす石炭になっている。
日本時代には台湾の台北市に台湾総督府(現在の総統府の建物)が置かれ、その総督に就いた日本人は全部で19名いるが、その中で5名が山口県出身者だ。
他にも、日本時代にできた台湾初のデパート「菊元百貨」や、台南市で人気の観光スポットになっている「林百貨」の創業者が山口県出身だったり、日本の特別天然記念物に指定されている秋吉台を戦後に米軍の爆撃演習から守ったのが湾生(わんせい/日本時代に台湾で生まれた日本人)の県知事であったり、台湾でいま食べられている蓬莱米の故郷がじつは山口県であることなど、調べれば調べるほど、台湾と山口のつながりエピソードは枯れることのない温泉みたいに湧き出してくる。
台湾の街を歩いたり調べたりしているうちに、山口の先人たちの足跡を多く見つけたときの驚きと喜び。それは異国に嫁いだ自分の足元が、海を越えた故郷とたしかにつながっている事を教えてくれた。そしてさらに台湾というフィルターを通すことで、山口県という土地がどのような歴史と風土を持ち、世界のなかでどういった役割を担ってきたのかを、また違った角度から見つけられたように思う。他者を鏡として、ひとは自らの姿を見つめ直すことができる。そんなわけで。
『台湾と山口をつなぐ旅』は、台湾を通してみる「山口発見記」でもある。