私の人生途上において最も重要な“邂逅”は日本語でした。というよりも日本との邂逅と言った方が適切だと思います。これが私の人間形成の要素と表現しても過言ではありません。それもその筈、小学校から旧制中学4年間の求学は日本語だったからです。
人間として最も発育・食欲の旺盛な青少年期は、不運にも二十世紀最大の戦争時代に入り、軍需優先の日本社会は食料・衣料・日用品などの物資全般に配給制度が敷かれ、急激に物資不足となり、餓死とまではゆかないが、極端な欠乏生活を終戦の1945年まで強制されるのでした。その間の体験を語ります。
私は日本人として生まれ、先ず日本語で青少年期を過ごし、終戦後は台湾で台湾語と北京語を使用という三つの言語の習得を余儀なく強いられました。
戦後は台湾に帰還するが、最初の仕事は中学・高校で書記として就職、15ヶ月後には中華民国最初の義務兵役に服役、軍隊生活で中国語と“邂逅”、この体験がその>後の人生に欠かせない中国語を会得する機会となったのです。
そして“友愛グループ”との邂逅。このグループに入会したお陰で日本語を改めて学習できました。そしてより多くの台日の人々と数え切れないほどの人数の友人を得ることが出来ました。
今日の講演会も友愛グループの存在がもたらしてくれた邂逅の一つです。友愛グループは私たちの生涯学習の場でもあり、多くの人々との交流の場でもあります。