日本文化の理解は、歴史的に多くの段階を経て来たし、言うまでもなく現在も変化し続けている。日本文化の理解に関する記述的分析には,可能性として少なくとも三つのレベルが区別できる。すなわち、日本についての通俗的な理解のレベル、日本についての学術的な研究のレベル、更に日本文化・社会についての筆者自身の個人的な解釈のレベルの三つである。これら三つのレベルはある程度互いに縺れ合った縄のようなもので、それらを解き解すことが完全にできないかも知れないが、この講演の狙いにとって最も重要なのは、どのレベルにおいても、見たところ、解釈の図式の観点が、二つの極の間を揺れ動いているという事実である。
つまり、それは一方では、日本をアジア文化、より狭く言えば、中華文化の枠内に組み込むか、他方では、日本を他のアジア諸国から切り離して、日本を特殊な、独特な事例として扱うかの両極である。
勿論、日本人による自己記述も同様に、この二つの極の間を揺れ動いていることも言うまでもない。それだけではなく、この自己記述というものは単なる記述と規範を示す論説の間を揺れ動いていることも事実である。
一方では、論者が自分が理解したと信じるところを単に有りの侭記述するだけであるが、他方では、日本文化のあるべき姿をどうにか理想像として論述するのである。後者のアプローチの有名な例のじられた脱亜入欧論がある。また、三島由紀夫による、日本文化の堕落という見方も、川端康成のいくつかの小説に見られる、日本文化への挽歌のような見方と同様、理想像を前提とした分析の一つである。