學術講論會33:江戶時代日韓間人物交流的二例
活動花絮
日期:2017.06.07 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心
        

        
江戶時代日韓間人物交流的二例
日期:2017.06.07 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心

  在日本與朝鮮各自進入「鎖國」狀態的江戶時代,日本人與朝鮮人共同生活一段時間,並以日記方式紀錄彼此之間的對話與感想等的史料是非常稀有的。在此,我將分別介紹日本人與朝鮮人留下的稀有日記資料,將其顯示的雙方交流的痕跡具體化,試圖探索江戶時代日本人與朝鮮人互相認識的一隅。

  其一是文政二年(1819)年七月,漂流到朝鮮半島西海岸(忠清道庇仁縣)的薩摩藩士安田喜藤太義方的日記。藉由安田與朝鮮官僚的筆談,可以具體了解在漂流地與當地朝鮮人的交流狀況。另一件則是享保十九年(1734)從朝鮮被派遣到對馬的翻譯官隨行,金弘祖的日記『海行記』。金弘祖自身在到達對馬之前,在釜山倭館便和對馬藩的人們有交流,藉此得以了解在對馬府中和日本人交流的樣態。

  他們是如何感受彼此的文化差異與共通點?如何進行溝通?透過比較兩事例的差異與共通性,期能窺其究竟。

 日本と朝鮮のそれぞれが「鎖国」状態にあった江戸時代、日本人と朝鮮人が一定期間をともに過ごしながら、その間の会話や感想を書き留めたような日記に行き当たることはめったにない。ここでは、その稀有な日記資料を日本人のもの・朝鮮人のものそれぞれ一点ずつ紹介しながら、そこに示された交流の跡を具体化して、江戸時代における日本人と朝鮮人の相互認識の一端に触れてみたい。

 ひとつは文政二年(一八一九)年七月、朝鮮半島の西海岸(忠清道庇仁県)に漂着した薩摩藩士安田喜藤太義方の日記である。安田と朝鮮官僚との筆談を介して、漂着地における朝鮮人との交流が具体的に分かる。もうひとつは、享保十九年(一七三四)に朝鮮から対馬に派遣された訳官使に随行した金弘祖の日記『海行記』である。金弘祖自身は対馬へ渡る前から釜山・倭館で対馬藩の人々との交流があり、それを踏まえてなされた対馬府中での日本人との交流の様子が分かる。

 お互いの文化の差異と共通性を彼らがどのように感じたか。どのようにして互いの意思疎通をはかったか。ふたつの事例の差異と共通性をもまた眺めてみたい。