學術講論會26:日本的「中國通」與歷史認識問題
活動花絮
日期:2016.12.20 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心
        

        
日本的「中國通」與歷史認識問題
日期:2016.12.20 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心

  戰前,日本政府組織及軍中有許多活躍的「中國通」。他們對中國的理解及認識,給日本的中國政策帶來了何種影響?又,如何以歷史學的角度評價他們的思想及行動,是戰前日中關係史非常重要的課題。

  例如,畢業於東亞同文書院的石射猪太郎,作為外務省東亞局長,在盧溝橋事件爆發時,為早日解決日中戰爭而奔波。而之後戰爭局勢日益擴大,石射的努力並未獲得回報。關於石射及由他帶領的「和平派」,在日中戰爭史中應該如何評價?又,當道義和國家的利益產生衝突時,外交官會如何採取行動?從此延伸至「中國通」外交官在日中關係史中該如何評價,這些問題對於把握日中戰爭的整體模樣以及日中關係的多面性而言是不可或缺的一項作業。本報告將透過石射猪太郎日中戰爭初期的活動,驗證所謂「中國通」外交官的思想與行動,並且,試著探索思考日中關係史的新視角。

  另外,「歷史認識」,是影響東亞國際關係的重要因素之一。我們應該如何連結起這個大「時代」以及在此時代發生的各個事件,並理解歷史?試從此視點思考歷史認識的問題。

 戦前多くの「中国通」が日本の政府組織や軍部のなかで活躍した。彼らの中国理解と対中国認識が、日本の中国政策にどのような影響を及ぼしたのか。また、彼らの思想と行動を歴史学的にどのように評価するのか、戦前の日中関係史の重要なテーマである。

 例えば、東亜同文書院を卒業した石射猪太郎は盧溝橋事件勃発時の外務省東亜局長(在任一九三七年五月一二日—三八年一一月九日)として日中戦争の早期解決に奔走した。戦争がその後拡大の一途をたどり、石射の努力は報われることはなかった。石射と彼をめぐる「和平派」グループを日中戦争史のなかでどのように位置づけるのか、道義が国家の利益と衝突するとき、外交官はどのように行動したのか。さらにそこから発展して、「中国通」外交官を日中関係史の中でどのように位置づけるのか、という問題は、日中戦争の全体像と日中関係の多面性を把握する上で必要不可欠な作業である。

 本報告は日中戦争初期の石射猪太郎の活動を通して、いわゆる「中国通」外交官の思想と行動を検証し、日中関係史を検討するための新たな視角を探ってみたいと思う。

 また、東アジアの国際関係に大きな陰を落としているものに、「歴史認識」の問題がある。大きな「時代」と、その時代に展開された個別の事象をどのように関連させながら、歴史を理解するのか。歴史認識の問題をこのような視点から考えてみたいと思う。