台日文化交流教室(8):台灣、中國,以及日本—從秘史的角度思考三者關係
活動花絮
日期:2016.12.09 | 單位:臺灣大學日本研究中心
   

   

   
台灣、中國,以及日本—從秘史的角度思考三者關係
日期:2016.12.09 | 單位:臺灣大學日本研究中心

  在人類歷史的暗處,總是脫離不了藥物的陰影。鹽巴、砂糖、胡椒、酒、香菸、茶、咖啡等調味料或嗜好品的延長線上,是古柯鹼或大麻、鴉片等的存在。

  在東亞,英國與清廷之間的不平等貿易而引發了鴉片戰爭(1840~42),此後鴉片問題也長久困擾著清廷與中國。

  另一方面,甲午戰爭(1894~95)結束後中日簽訂馬關條約,清廷割讓台灣給日本。接收台灣的日本雖企圖將台灣作為富國強兵的踏板、糧食增產的據點,但當時的台灣存在著大量鴉片中毒患者的困境卻橫擺於前。

  對此問題,總督府民政長官後藤新平實施鴉片專賣制度,採用漸進政策的手法抑制鴉片吸食人數,但同時也不得不給予「藥用鴉片」給鴉片中毒患者。

  購買來自當時世界大國――英國的印度.波斯產鴉片,將造成大量的外幣流失。日本為避免此情況發生,接納了自江戶時代起,有栽培罌粟花實作經驗,位於大阪的三島郡福井村(現茨木市)的農業專家――二反長音藏的建言,決定選擇自給自足之道。

  鴉片可進一步精煉成嗎啡,甚至是海洛因。第一次世界大戰之後,罌粟因為可作成止痛藥,成為重要的軍需物資。台灣的鴉片中毒患者在日治時期的50年間雖幾乎根絕,但日本的罌粟種植卻伴隨著時代的需求而逕自發展,達到世界屈指可數的規模。

  此外,中國的軍閥之間也有鴉片的利益爭奪,他們將鴉片作為內戰資金,藉此來擴大自身的勢力。

  我將以台灣為主軸,並跨及日本與中國,介紹從鴉片所見的近代史。

 人類の歴史の陰にはつねにドラッグの影がつきまとう。塩、砂糖、胡椒、酒、タバコ、茶、コーヒーといった調味料、嗜好品の延長にはコカインや大麻、アヘンが存在する。

 東アジアも同様で、英国と清国の貿易不均衡に端を発したアヘン戦争(1840~42)の結果は長く清国、中国を苦しめた。

 一方、日清戦争(1894~95)の結果、下関(馬関)条約で清国から台湾の割譲を受けた日本は、当時の台湾に存在した多数のアヘン中毒者患者の問題が、富国強兵の足がかり、食糧増産の拠点としたい意向の前に障害となった。

 結局この問題では、総督府の民政長官、後藤新平がアヘンの専売制を敷き漸禁政策をとったが、一方で中毒者に与える「薬用アヘン」の必要に迫られた。

 当時の大国、英国のインド・ペルシャ産アヘンを購入することで貴重な外貨を失うことを憂慮した日本は、江戸期以来、ケシ栽培の実績のある大阪の三島郡福井村(現在の茨木市)の篤農家、二反長音蔵の建白を容れ、自給自足の道を選ぶ。

 アヘンはモルヒネ、ヘロインに精製される。第一次大戦以降、鎮痛剤としてケシ栽培は重要な軍需物資となった。台湾のアヘン中毒者は日本統治時代の50年間でほぼ根絶されたが、ケシ栽培はこうした時代の要請に伴い独自に発展、世界有数の規模となった。

 一方、中国大陸でも軍閥によるアヘン利権の争奪があり、内戦の資金として勢力拡大に利用された。

 台湾を軸に、日本、中国にまたがるアヘンからみる近代史を紹介する。