學術講論會24:筆談與東亞文化交流-以清朝初代駐日公使館員的在日筆談資料為中心-
活動花絮
日期:2016.11.02 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心
        

        
筆談與東亞文化交流-以清朝初代駐日公使館員的在日筆談資料為中心-
日期:2016.11.02 | 主辦單位:臺灣大學日本研究中心

  筆談也稱筆話、筆語,是東亞漢字文化圈中語言相異的各地區之間主要的交流方式之一。即使語言不通,利用漢字、漢文、漢詩的話,溝通也足以成立。筆談在東亞文化交流史中扮演獨特的角色,可說是漢字文化圈中文化交流的特殊景象。

  眾所皆知,在中國發現的筆談資料不多,反倒是在日本的則多數被保存下來。筆者發現,在『清朝首屆駐日公使館員筆談資料彙編』(上下、天津人民出版社、2010年)中,收錄了何如璋、張斯桂、黃遵憲、沈文熒等清朝初代駐日公使館員在駐日期間,與大河內輝聲、宮島城一郎、石川鴻齋、岡千仞、增田貢等明治期日人,以及朝鮮修信使金宏集等人的六種筆談資料。從中可以解讀出以東京為舞台所展開的東亞文化交流的面貌。在清朝初代駐日公使館的在日筆談資料中,數量最多的是大河內輝聲及宮島誠一郎的筆談紀錄。兩人皆頻繁拜訪公使館,並仔細整理保存了龐大的筆談紀錄。

  本演講中,將使用新考查的筆談資料,從琉球主權歸屬交涉、朝鮮開國、『日本雜事詩』的改訂以及『日本國志』的資料收集、漢詩的唱和及切磋等視點,剖析以東京為舞台所展開的東亞文化交流的實際情形。

 筆談は筆話、筆語とも言い、東アジア漢字文化圏の異なる地域と言語間の主要な交流方式の一つである。話し言葉が通じなくても、漢字・漢文・漢詩を使えばコミュ二ケーションが十分成り立つ。筆談は東アジア文化交流史において独特な役割を果たしており、漢字文化圏における文化交流のユニークな風景と言える。

 周知のように、筆談資料は中国でさほど発見されておらず、むしろ日本において数多く保存されている。筆者は『清朝首届駐日公使館員筆談資料彙編』(上下、天津人民出版社、2010年)において、何如璋、張斯桂、黄遵憲、沈文熒ら清朝初代駐日公使館員の日本駐在期間(1877-1882)に、大河内輝声、宮島誠一郎、石川鴻斎、岡千仞、増田貢ら明治期日本人および朝鮮修信使金宏集との筆談資料を六種類収録した。そこから東京を舞台に展開される東アジア文化交流の様相を読み取ることができる。清朝初代駐日公使館の在日筆談資料の中で、一番量的に多いのは、大河內輝声文書と宮島誠一郎文書における筆談記録である。二人とも足繁く公使館を訪ね、膨大な筆談記録を大事に保存し整理している。

 本講演では新たに調査した筆談資料を用いながら、琉球帰属交渉、朝鮮開国、『日本雑事詩』の改訂と『日本国志』の資料収集、漢詩の唱和と切磋琢磨などの視点から、東京を舞台にして展開された東アジア文化交流の実態に迫ってみたい。