第一次世界大戦末期ヨーロッパから社会思潮が流れ込み、またロシアの十月革命の後には共産主義思想が伝わった。日本国内でも資本主義経済の発展が貧富の差をさらに拡げ、労働運動や農民運動が活発化した。このような社会の流れにともない、日本国内では1918年以降さまざまな国家改造団体が現れた。その中には共産主義寄りのものや無政府主義寄りのもの、また国家社会主義や日本主義寄りの団体もあったが、彼らの共通点は、当時の日本の政治や経済体系に対して大規模な改革を行うよう求めている点であった。
全国を席巻した「国家改造」運動に対して、日本の当時の統治集団はそれぞれ別個に対応するという方針を採った。政府はまず共産主義と社会主義の運動団体を排除し、続けて社会改良主義団体の普通選挙要求に対してある程度譲歩し、最後は右翼過激派の国家改造要求を対外拡張の方向へとうまく誘導した。まさに、日本の軍人や官僚、政党の党首といったエリート統治集団内で互いに牽制し、政治や社会の大きな改革を拒んだ。そのため、日本社会の階層間に矛盾が深まっていき、最終的に大規模な対外侵略に向かうしかなくなった。今回の講演では、さまざまな国家改造団体の綱領や代表的人物のそれぞれの結末の分析を通して、このテーマについて述べる。