學術講論會21:遣唐使和東亞的國際情勢
活動花絮
日期:2016.03.30 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心
        

        
活動花絮
日期:2016.03.30 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  在日本歷史上,7世紀到9世紀之間共有20次遣唐使的派遣紀錄。在20次的遣唐使派遣中,以第一到第七次為前期、第八次到第二十次為後期作區分。派遣遣唐使至中國除了文化交流、讓中國文化得以傳入日本之外,遣唐使在當時的東亞情勢中也佔有相當重要的位置。為了更深入探討遣唐使在該時代之意義,本研究係以當時的歷史背景及遣唐使自身所記載的文書資料做進一步的分析。

  遣唐使至中國的路線分成北路與南路。前期的遣唐使以北路為主。除了前往中國外,攻打當時朝鮮半島的新羅國也為其目的之一,因此前期遣唐使的派遣主要為政治因素的考量。而在前後期遣唐使的政策中,中間曾有31年的空窗期。此空窗期是由於當時日本面臨的內憂外患(白村江戰、壬申之亂)所導致的。但也因為此次的危機,使日本國力大增,在政治制度上發展成律令國家。後期遣唐使則改採取南路。當時唐代朝政穩定,日本為學習中國文學、文化,除了遣唐使之外,也派眾多留學生、僧侶等前往中國。另外,派遣至中國的遣唐使也有揚州組及長安組之分。

  從日本進獻中國的高品質的朝貢品中,可看出日本對中國之重視。也可以猜出,遣唐使在當時最重要的目的即為和中國唐朝建立外交關係,以確保日本能夠引進中國文化。日本則以中國文化為基礎;加以融入自身文化,成為現在的日本文化。

 7世紀から9世紀にかけて計20回ほど遣唐使が派遣されている。その中で、第一回から第七回までが前期、第八回から第二十回までが後期に区分される。遣唐使は中国との文化交流、中国文化の日本伝来のほか、当時の東アジア情勢の中で重要なポジションを担っていた。当時の遣唐使の意義を深く検討していくため、当時の歴史的背景や遣唐使自身が記した文章などをもとに、さらに分析を進めていく。

 遣唐使のルートは北ルートと南ルートがある。前期は主に北ルートを使っていた。前期遣唐使の主な目的は政治的要素を含んでいたため、渡唐のほか、朝鮮半島の新羅国への攻撃も目論見の1つであった。前期と後期の遣唐使政策の間には31年間の空白期間が存在する。その空白期間は当時日本が直面していた内憂外患の状況がもたらしたものであった。しかし、その結果日本の国力は増大し、律令国家へと発展した。後期遣唐使の派遣は南ルートへ変更された。唐の政治は安定していたため、遣唐使のほか、多くの留学生や僧侶を派遣して中国の文学や文化を学ばせた。また、遣唐使は揚州へ行く者と長安へ行く者に分かれた。

 中国へ献上された貢ぎ物から日本が中国を重視していたことがわかる。また、遣唐使の最重要の目的は唐との外交関係の構築であったが、さらに中国文化を取り入れようとしていたことも推測できる。日本は中国文化を基礎にして、それが溶け込み、現在の日本文化となっている。