台日文化交流教室(5):臺日關係與臺灣總統─蔣介石與李登輝
活動花絮
日期:2016.03.04 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
     

     
臺日關係與臺灣總統─蔣介石與李登輝
日期:2016.03.04 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  身為資深媒體人的野嶋剛先生曾在臺灣留學,曾任朝日新聞社臺北分社長,並出版過許多關於臺灣的著作,是位非常瞭解臺灣的日本人。他在本次演講中以蔣介石和李登輝兩位前總統為例,說明臺日關係的變化。

  野嶋先生首先提到他為何選擇蔣介石和李登輝作為演講題目,而非其他總統。首先,因為這兩位與日本有深厚淵源。蔣介石銅像每逢二二八紀念日便遭潑漆;李登輝則主張釣魚臺是日本的,引起許多批評。再來,這兩人分別代表兩種截然不同的歷史觀和日本觀,這是觀察臺日關係變化很好的切入點。

  臺灣和日本同時具有「華日」和「臺日」的兩面性,這兩股勢力的相互角力造就了臺日關係的變化。「華日」指的是中華民國與日本,以政治層面的交流為主。代表者是蔣介石和蔣經國,他們擁有中國歷史觀,為了慰安婦及釣魚臺,和日本爭執不休;「臺日」則是指臺灣和日本,以經濟、文化等民間交流為主。代表者是陳水扁,他們擁有臺灣本土的歷史觀,對前殖民者日本感到親近。早年的臺日關係以「華日」為主,到了2000年以後,「臺日」逐漸抬頭。2011年東日本大震災發生後,許多日本人感謝臺灣人伸出的援手,「臺日」因此成為主流。

  蔣介石和李登輝皆親日,但親日的方式有所不同。蔣介石曾到日本接受軍事教育,但他心繫於祖國的革命,未和日本進行多餘的交流。蔣介石時期的臺日關係以東西冷戰和反共為背景,「以德報怨」和「中日合作」為主軸,透過日本留學時期認識的人脈,接受日本「白團」的軍事協助。

  李登輝出生於日治時期的臺灣,曾到日本接受高等教育,對他而言日本是個親近的對象。李登輝時期的臺日關係以冷戰結束和臺灣民主化為背景,由李登輝本人親自主導臺日交流,主要目的在於擴大兩國實質關係。

  1990年以後,臺灣持續本土化,日治時期的記憶重見天日,臺日關係變得更加友好。但是臺日關係中隱藏著變數,那就是中國的存在。野嶋先生分析這三十年來日本有關臺灣的輿論,發現雖然臺灣本土派和民進黨在思想上較接近左派,但卻不受日本左派的歡迎,支持他們的反而是右派。野嶋先生認為這是因為左派親中,因此討厭臺灣;右派反中,因此支持臺灣。他也觀察到,東日本大震災後,許多日本人開始關注臺灣。他們不在意中國,純粹將臺灣視為臺灣。野嶋先生認為今後臺日關係若要繼續向上發展,日本必須要能不被中國左右,和臺灣一對一地往來。

  今(2016)年的總統大選,由民進黨蔡英文當選總統;日本安倍政權的親臺政策也逐漸明朗化。臺日關係將脫離蔣介石的「華日」和李登輝的「臺日」,迎向新的時代。但臺灣只要還在中華民國體制下,「華日」便不會消失,臺日關係仍舊存在著變數。

問題與討論

  問題一:中華航空為何是「中華」,而非「臺灣」?

  問題二:請問臺日關係變好的具體例子為何?

  問題三:如何不去在意中國,和臺灣往來呢?

  問題四:馬英九稱臺灣人抗日為最早的中國抗日行動,請問你的看法是?

  問題五:為何戰後是日本的軍隊來協助臺灣,而不是美軍?

綜合回答

  陳水扁時代,曾經有去中國化的政策,但未能完全成功。名稱中有「中國」的,如「中國石油」,改名為「台灣中油」;但名稱中有「中華」的,如「中華航空」、「中華郵政」則維持原名。以前,擁有懷日情緒的臺灣人會被批評是皇民,但現在社會大眾對於這樣的情懷是非常包容的。我舉沖繩為例。日本左派支持沖繩自決,但是卻反對臺灣自決。我認為這些人思想上應該一致,而不是看到中國就轉彎。臺灣的抗日行動是以日本殖民為背景,和中國的抗日行動性質完全不同。戰後美國一度捨棄了中華民國,直到韓戰爆發後,美國才又重新資助中華民國。

 ジャーナリストの野嶋剛氏は、台湾留学や朝日新聞社台北支局長を務めた経験があり、台湾関連の著作も多く、台湾への理解が大変深い日本人である。今回の講演で野嶋氏は、蒋介石と李登輝の2人の総統を例に、日台関係の変化について説明した。

 野嶋氏はまず、他の総統ではなく蒋介石と李登輝を講演テーマに選んだ理由について、次の2つの理由があると述べた。1つ目はこの2人がしばしば物議を醸してきた点である。蒋介石の銅像は228記念日の度にペンキをかけられ、また李登輝は尖閣諸島を日本の領土だと発言したことで、大きな批判を受けた。そして2つ目は2人が異なる歴史観と日本観を持っている点であり、これは日台関係の変化を観察するための良い切り口となる。

 台湾と日本については「日華」と「日台」という両面性があるが、双方の勢力の競争が日台関係に変化をもたらしてきた。「日華」は日本と中華民国、つまり政治的な関係を指す。代表者である蒋介石と蒋経国は中国の歴史観を持ち、慰安婦や尖閣諸島といった問題について日本と争いが絶えなかった。一方「日台」は日本と台湾を指し、経済や文化といった民間交流が中心である。その代表は陳水扁であり、彼らは台湾本土の歴史観を持ち、植民者であった日本へも親しみを抱いている。以前の日台関係は主に「日華」だったが、2000年以降「日台」が次第に台頭し始めた。2011年の東日本大震災発生後、多くの日本人が台湾人の支援に感謝し、これにより「日台」が主流となった。

 蒋介石と李登輝はどちらも親日だが、親日の方向性が異なる。蒋介石はかつて日本で軍事教育を受けたことがあるが、彼の心は祖国の革命にあり、日本との交流はあまりなかった。蒋介石時代の日台関係は東西冷戦と反共産党を背景に、「以徳報怨(徳を以て怨みに報いる)」と「日中合作」を軸として、日本留学時の人脈を介し日本の「白団」の軍事協力を受けた。

 李登輝は日本統治時代の台湾に生まれ、また日本で高等教育を受けたことから、彼にとって日本は身近な存在だった。李登輝時代の日台関係は冷戦の終結と台湾民主化を背景に、両国の実質関係拡大のため、李登輝自らが日台交流を主導した。

 1990年以降台湾は本土化を続け、これまで封印されてきた日本統治時代の記憶が再び日の目を見ることとなり、日台関係もさらに友好的になった。しかし日台間には、その関係を脅かす中国という脅威がある。野嶋氏はここ30年の日本の台湾世論を分析し、台湾本土派と民進党は思想的には左派寄りであるのに、日本の左派には受け入れられず、むしろ右派に支持されていることに気づいた。野嶋氏は、このことは親中の左派が中国に親しいがゆえに台湾を嫌い、一方の右派が反中であるがゆえに台湾を支持していることが背景にあると考えている。また東日本大震災の後、多くの日本人が台湾に関心を持ち始めたのだが、彼らは中国のことは気にせず、純粋に台湾を台湾とみなしている。野嶋氏は、今後日台関係が発展し続けるならば、日本は中国に左右されず、台湾と一対一で付き合っていかなければならないとした。

 今年(2016年)の総統選挙で民進党の蔡英文が当選したため、日本の安倍政権の親台政策も次第にはっきりとしたものになってくるだろう。日台関係は蒋介石の「日華」と李登輝の「日台」から抜け出し、新たな時代を迎えるだろう。しかし、台湾が中華民国体制の下にある限り、「日華」が消えることはない。ゆえに、日台関係は依然として不安要素を抱えたままなのである。

質疑応答

  Q. 中華航空はなぜ「台湾」ではなく「中華」なのか。

  Q. 日台関係が良くなったことの具体例にはどのようなものがあるか。

  Q. なぜ中国ではなく台湾と付き合うのか。

  Q. 馬英九は台湾人の抗日が最初の中国抗日行動と称するが、野嶋氏はどう考えるか。

  Q. なぜ戦後、アメリカ軍ではなく日本の軍隊が台湾援助に来たのか。

綜合回答

 陳水扁時代に脱中国化政策が行われたが、完全に成功したわけではない。「中国」と名の付くもの、例えば「中国石油」は「台湾中油」と改められた。しかし中には「中華航空」や「中華郵政」といった「中華」が付く名称もあるが、これらについては元の名が継続して用いられた。それゆえ、「中華」航空なのである。以前は懐日感情を持つ台湾人は「皇民」と批判されていたが、現在は社会全体がこのような感情に対して非常に寛容的になった。沖縄を例として挙げる。日本の左派は沖縄独立を支持したが、台湾独立には反対した。左派の思想は一貫すべきであり、中国に左右されてその態度を変えてはならないと考える。台湾の抗日行動は日本の植民地支配を背景としており、中国の抗日行動とは性質が全く異なる。戦後アメリカは中華民国を一度は見捨てたが、朝鮮戦争勃発後、新たに中華民国への経済的援助を行った。