學術講論會20:誰肩負了日本之近代–建立行政國家的官僚們的思想與行動
活動花絮
日期:2015.12.30 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心
     

     
誰肩負了日本之近代–建立行政國家的官僚們的思想與行動
日期:2015.12.30 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  日本成功推動明治維新,仰賴官僚人員的運作,可以說日本是由官僚們一手建立的。而當時的政治家是抱持何種心態建立此一容易發展,卻在失敗後便難以恢復的官僚體制呢?

  以往的日本社會不具有職業選擇的自由,父母職業決定孩子的未來。明治時期的新政府為了廣納全國各地的人才,設立只問能力不論出身的選才制度。大學教育的機會,亦從以往權勢者的手中獲得解放。

  隨著人才培育制度成熟,受過高等教育的學生,開始站在政府的對立面,要求個人權利的擴大。政府為了緩和學生的訴求,設法讓學生了解,實際政策的制定優先於政治權利的獲得,讓國家更好的方式便是制定好的政策改造社會國家。政府派遣實際在政府機關工作的官僚,進入大學教授實際政策該如何制訂。憲法明定只要透過一定的考試,每個人都能成為軍人或官僚,落實平等的選才制度。此時,進入政府單位工作成為莘莘學子人生最高目標。

  隨著世界民主主義的浪潮,日本以義大利為模範,希望建立以民意為統治基礎的政黨政治。逐漸由在大學接受過良好教育的「學士官僚」,取代以往繼承家業的「藩閥官僚」。然而,能夠進入大學,進一步成為「學士官僚」的人,仍以有錢人為主。曾在東京當過官僚者,多為地方上名望者的次男或三男。回鄉後和自己的兄長合作,參選成為地方議員。如此,便形成一地域社會和政治權利被同一勢力壟斷的現象。為了維護自己家族的利益,政治成為地域中有勢力者控制的一環。

  一次大戰後,各地議員受制於家族勢力,在利益無法統合的情況下,導致太平洋戰爭的爆發。二次大戰後,日本的政治型態依然持續,地方議員與總理大臣皆以官僚出身者為主。而繼父親之後成為議員的「二世議員」與「三世議員」等等,亦不在少數。為了鞏固家族利益,世襲制度於焉形成。

  明治時期平等取才制度的訂定,使日本走向成功的道路。可惜此制度隨著時間演變,已走向發展的盡頭,太平洋戰爭的爆發便是一例。在亞洲經濟泡沫化之後,日本官僚逐漸難以回應民眾需求。越來越多的年輕人,從身邊小事出發,透過實際的努力,試圖改造日本成為更好的國家。

 日本が明治維新に成功したのは官僚の働きがあってのことであり、日本は官僚たちの手でつくられたと言っても過言ではないだろう。当時の政治家はどのような考えをもって、発展しやすいが一度失敗すると元には戻りにくいこの官僚体制を打ち立てたのだろうか。

 それまでの日本社会は職業選択の自由がなく、親が子の未来を決めていた。明治新政府は全国各地の人材を集めるため、出自を問わず能力のみで評価する入試制度を設けた。大学教育を受ける機会もまた、権力者の手中から広く国民へ開放されたのである。

 人材育成制度の成熟に伴い、高等教育を受けた学生が政府に対して個人の権利の拡大を求めるようになった。政府は学生の要求を緩和すべく、実際の政策において優先されるのは政治的権利の獲得であり、国家を更に良くしていくには、良い政策で社会国家を改造していくことが必要だと学生に理解させようとした。政府は官僚を大学に派遣し、実際にどのようにして政策がつくられているかを学生に教えた。憲法では試験に合格すれば誰でも軍人や官僚になれると明記されており、平等な登用制度が実施されていた。当時、政府機関で働くことは多くの学生にとって人生最高の目標であった。

 国外で民主主義が高まるにつれ、日本もイタリアを模範として民意による統治を基礎とした政党政治の確立を目指すようになった。「家業」を継いだ「藩閥官僚」に替わって、次第に、大学で教育を受けた「学士官僚」が、台頭するようになった。しかしながら、大学に入って「学士官僚」にまでなれるのは、裕福な家庭の出がほとんどだった。東京で官僚になったことのある者には地方の有力者の次男や三男が多く、彼らは地元に帰った後は兄と共に働き、出馬し地方議員となる。このようにして、地域社会と政治権利が同一勢力の支配下に置かれるという現象が生まれる。一族の利益を守るために、政治は地域内で権力者によってコントロールされるものとなった。

 第一次世界大戦後、各地の議員は同族勢力を制限され、同族間で利益を統合できない状況下で太平洋戦争が勃発した。第二世界大戦後は日本の政治形態は維持されたが、地方議員と総理大臣は官僚出身が中心となっている。しかし、父親の後を継いだ「二世議員」や「三世議員」等も少なくない。一族の利益を維持し、高めるべく、世襲制度はこのようにして形成されていくのである。

 明治における平等登用制度の制定は、日本を成功へと導いた。しかし残念なことに、この制度は時間の経過とともに発展の終焉へと向かった。太平洋戦争勃発がその一例である。アジアで経済がバブル化した後、日本の官僚は徐々に国民の要求に応じられないようになった。より多くの若者が、身の回りの小さなことから日本をより良い国に変えるべく、努力をしていくべきである。