學術講論會18:東京海上日動火災保險公司與德川博物館之災害應對
活動花絮
日期:2015.10.01 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心
     
  
東京海上日動火災保險公司與德川博物館之災害應對
日期:2015.10.01 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  德川斉正教授分成近代、當代、未來展望來介紹中國的日本研究。

  德川斉正先生擔任公益財團法人德川博物館的理事長,同時身兼東京海上日動火災保險公司的執行董事。2011年3月11日發生的東日本大地震規模9.0,是日本觀測史上最大的地震。震後,東京海上如何應對災害、德川博物館如何修復受損的歷史文化財,是本次德川先生演講的主題。

  德川先生首先分析歷史上的大地震,發現首都圈約兩百年出現一次規模8以上的地震。若日本現在發生首都直下型地震(震源在首都的地震),預估約有兩萬多人罹難,直接損失金額約47兆日圓,間接損失金額約48兆日圓,加總後直逼日本的國家年度預算。除此之外,南海海槽巨大地震也會對日本造成嚴重損害。此類地震會在本州太平洋岸沿海引發10至20公尺的海嘯。

  東京海上以三個層級對應巨大地震或颱風帶來的災害。以東日本大地震為例:首先在東京總公司設立災害對策本部,接著在震源東北地區設立地方本部,東北各縣成立分部。各地分公司都備有發電機及衛星電話,在手機斷訊及停電時,地方可用來將情報上呈給總公司,總公司再依據情報下達指令給地方。

  德川先生平常的工作是預想災害發生時,現實中會有哪些狀況發生。他以東京總公司大樓無法運作的情況為例。這種情形首先必須確保電腦可以運作,所以必須在東京和大阪兩地分別成立電腦中心。總公司無法運作時,便成立關西支援本部,以免所有業務被迫停擺。

  德川先生告訴我們,保險公司在制定災害對策時,最重要的是想像力。必須具體想像該區域會出現哪些災害,才能正面制定對策,解決問題。正因如此,東京海上在東日本大地震後才能立刻前往災區進行調查,並儘速發放保險金,以協助災民重建家園。地震發生後的一小時內,東京海上便召開第一次會議,並成立24小時對應的對策本部,設立地震保險支付申請櫃台。第二天,他們開始確認受災地的分店是否安全,並調度支援物資。四天後,他們搭乘巴士前往仙台,一下巴士便去拜訪客戶,並在一次的調查中就決定支付金額。

  身為水戶德川家第十五代的德川先生同時也是德川博物館的理事長。水戶德川家建立於1609年,在四百年的歷史當中,經歷了五次嚴重的災害。在災難中逃過一劫,保留至今的三萬件史料及三萬件寶物便收藏在德川博物館中。

  德川博物館距離東日本大地震之震央約四百公里,許多收藏的物品受到了損傷。當時展示的女兒節人偶,由於未使用透明繩將其固定,地震發生時全都掉落地面,臉部、四肢都受到或大或小的損傷。水戶德川歷代藩主墳墓外的石牆也因地震崩落。修復時,必須將石頭一塊塊地取出,再像拼圖一樣一塊塊地放回去。由於每塊石頭大小、形狀不一,復原的工作並不容易。為了維護歷史史蹟,德川先生堅持使用當時的材料和方法來復原,還因此千里迢迢到九州取得石材。

  將歷史的原貌原封不動地傳承給後代,這是德川先生的使命。


問題與討論

  一、 請問東日本大地震發生時,您正在想什麼?
  二、 請問東京海上在台灣的分公司和總公司是如何聯繫的?代理店和東京海上之間是如何運作的?
  三、 在日本的外國人也能加入貴公司的保險嗎?保費和日本人一樣嗎?日本各地區發生地震的機率不一樣,保費有根據地區而調整嗎?


綜合回答:

  地震發生時,我正在開會。很巧的是,我們剛好在討論首都直下型地震發生時該怎麼辦。因此當下,我以為真的發生了首都直下型地震。但因為那是橫向搖動,而首都直下型地震應該是縱向搖動才對,因此我馬上知道我錯了。

  台灣分公司是由駐在員事務所管轄,負責事務所的是一位曾與我一起工作過的日本女性。日本人買保險時,可以向東京海上公司或是代理店購買。但本公司的業務通常不會直接接觸客戶,會向客戶推銷保險的是代理店的業務。代理店向客戶收取保險金,而本公司負責支付保險金。代理店有專職的,也有兼職的,例如機車保險通常會由機車行的店員兼職推銷。

  在日本的外國人也能加入保險。因為外國人和日本人遭受災害的機率是一樣的,所以保費和日本人一樣。有個專業術語叫「地域別料率」,根據不同的地區制定不同的保險費率,這是常常引起糾紛的原因。

 2011年3月11日に起こったM9.0の東日本大震災は日本観測史上最大の地震である。東京海上日動火災保険株式会社執行役員と公益財団法人徳川ミュージアム理事長という二つの肩書を持っている徳川斉正氏は、震災後、保険会社の災害対応、または歴史文化財の修復について講演した。

 東京海上は三層構造の災害対策体制で巨大地震や台風による災害に対応している。東日本大震災の時は、東京本店、震源地の東北地方、東北各県という三層構造で災害対策本部を設置した。発電機と衛星電話は各支店に常備しており、万が一停電となった時や携帯電話が不通になった時でも、地方の支店は本社に情報を提供し、本社は指示を出すことができる。

 平常時の仕事は災害の時の被害状況を想定し、またそれに対して具体的な対策を立てることである。その仕事に最も必要な能力は想像力である。具体的な被害状況を想像することで、真正面から対策を立て問題を解決することができる。だからこそ、東京海上は震災が発生してわずか四日後に被害地へ調査に向かい、短時間内に被災者に保険金を支給することができた。

 水戸徳川家第十五代当主でもある徳川氏は、更に徳川ミュージアム所蔵品の被害状況と修復について話した。四百年の歴史を持つ水戸徳川家は、大きな災害に五度も遭った。災害による被害を免れて保存されてきた約三万点の史料と約三万点のゆかりの品は、徳川ミュージアムに所蔵されている。震源から四百キロのところにある徳川ミュージアムは、多くの所蔵品が傷ついた。歴代当主の墓の石垣も地震で崩落した。修復の際は石を一つずつ取り出し、またパズルをするように一つずつ戻す。石はそれぞれ形も大きさも違うので、修復作業は難しかった。徳川氏は修復の方法について妥協せず、当時と同じ材料を取得するために九州まで行って石を取得してきた。歴史をそのまま未来の世代に伝えるのが、徳川氏の使命である。


Q&A
 一、東日本大震災が起こった時、何を考えていたのか。
 二、東京海上台湾支店はどのように本店と連絡するのか。代理店はどう運営しているのか。
 三、在日の外国人も貴社の保険に加入することができるのか。もしできるなら、保険料は日本人と同じなのか。各地域は地震発生率が違うので、保険料は地域によって調整するのか。


綜合回答:

 地震の時は会議中であった。しかも、ちょうど首都直下型地震が発生したらどうするについて討論しているところであった。そのせいで、首都直下型地震が本当に起きたと一瞬思った。しかし、それが横揺れの地震で、首都直下型地震は縦揺れのはずなので、すぐ違うことに気づいた。

 台湾支店は駐在員事務所で管理されている。お客さんに保険を売るのは代理店の営業である。東京海上の営業は直接お客さんに接触しない。専門の代理店もあれば、兼職の代理店もある。例えば、バイク保険はバイク店の店員が売る。

 日本にいる外国人はもちろん保険に加入することができる。災害に遭う確率は日本人と一緒なので、保険料は同じである。「地域別料率」という専門用語があるが、それは地域によって保険料率を調整することを指している。それが原因で、しばしばお客さんとの間にトラブルを引き起こしてしまう。