台日文化交流教室(3):待客之道在臺灣的挑戰──日本旅館「加賀屋」在臺發展的軌跡
活動花絮
日期:2015.09.25 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
     

     
待客之道在臺灣的挑戰──日本旅館「加賀屋」在臺發展的軌跡
日期:2015.09.25 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  2003年SARS疫情爆發,德光先生當時所屬的日本企業決定撤出臺灣,他本人也因此辭職,但仍留在臺灣從事志工活動。德光先生早有促進臺日交流的想法,又碰巧聽聞臺灣日勝生想在北投建設飯店,遂向日勝生董事長提議與其建設飯店,不如引進象徵日本文化的溫泉旅館-「加賀屋」。加賀屋位於北投的現址在日本統治時期1896年時就曾是日本溫泉旅館,且加賀屋1995年起開始接受臺灣的員工旅行團,因此對臺灣的建議非常積極。

  但是若要在臺灣開業,必須先達成加賀屋提出的三個條件。在這些條件之前,若缺乏「OMOTENASHI」的服務精神,還是無法掛上加賀屋的招牌。這三個條件分別是:第一是建立與日本加賀屋相同風格的建築,第二是要提供傳統日式而非臺灣料理給客人,第三是即使是房務人員也必須和日本一樣,身穿和服在玄關迎接客人。德光先生接著又談到幾點有關臺灣加賀屋開業的歷程,分享開業時面臨的挑戰以及「OMOTENASHI」精神的重要性。


臺日雙方的分歧與臺灣加賀屋的開業

  在建築的設計階段,日本的知名建築家來到臺灣與臺灣的建築公司開會。當時德光先生由於有其他工作不克出席,因此委託口譯人員協助會議進行。然而由於口譯人員專業能力不足,會議窒礙難行。有鑑於這次的經驗,德光先生認為兩國之間進行商務會議時,最重要的是必須思考對方是怎樣的企業、尊重對方立場並適當地傳達心聲。


「おもてなし」與「OMOTENASHI」

  起初,臺灣加賀屋想翻譯「OMOTENASHI」為中文,然而日本2013年爭取東京奧運主辦權時,宣傳日本「OMOTENASHI」的精神,「OMOTENASHI」也因此成為世界知名的標語。有鑑於此,臺灣加賀屋將「おもてなし」日文原文與羅馬字「OMOTENASHI」並排註記,目標使其跟「KARAOKE」一樣成為世界共通的語言,同時也讓各個工作人員了解「OMOTENASHI」的意涵及其目標。


「OMOTENASHI」、「Service」與「Hospitality」的差異

  德光先生說明「OMOTENASHI」、「Service」與「Hospitality」之間涵義的不同。「OMOTENASHI」強調的重點是將客人與服務員放在對等的位置,服務員以媽媽的心情等待從遠處歸來的家人並迎接他們。就像是我們為了家人思考該怎麼做才能讓他們高興,以及該準備什麼一樣,加賀屋會為此提早進行準備。總結來說,日本的「OMOTENASHI」精神就是對待客人像對待家人般盡心盡力。

  最後,德光先生一一回答來自會場的各個問題。學生請德光先生分享管理加賀屋至今印象最深刻的事情。德光先生則回答臺灣加賀屋開業後,他最開心的莫過於聽見客人滿意的聲音。甚至有房務人員自掏腰包購買掃墓祭拜用花送給客人,從這個自發性的行動便可感受到臺灣加賀屋的「OMOTENASHI」精神。演講全程氣氛十分熱絡,在歡笑與掌聲中結束。

 徳光氏は、2003年に台湾で流行したSARSの影響で、勤めていた日本企業が台湾から撤退した際、自身も退職した。しかし、その後も台湾に留まりボランティアとして活動したが、ある時、台湾の日勝生という企業から、北投でホテルを建設したいという話を聞いた。徳光氏はかねてから、文化・民間交流を通じて日台交流を促進したいと考えていたため、ホテルではなく、日本文化の象徴とも言える温泉旅館を誘致してみたらどうかと、日勝生の社長へ提案した。現在の加賀屋がある場所は、日本統治下の1896年には日本の温泉旅館があったこと、また、加賀屋では1995年から台湾からのインセンティブツアーを受け入れたこともあって、台湾からの熱烈なオファーに前向きな姿勢を示した。

 しかし、台湾での加賀屋開業には、様々な条件が提示された。三つの課された条件の前提に、「おもてなし」のサービスを欠くなら加賀屋の「暖簾分け」はできないということだった。徳光氏は、一つ一つその条件を日勝生側に説明した。まず一つに、日本にある加賀屋の建物らしく設計・建築すること。二つに、台湾式ではなく伝統的な日本料理を宿泊客に提供すること、三つめに、客室係のレベルも日本と同等で、さらにチェックインからチェックアウトまで着物を着たスタッフが担当すること、これらを必ず台湾でも行うことが条件であった。徳光氏は、さらに台湾の加賀屋が開業する際に直面した問題、「おもてなし」の重要さを紹介した。


日台双方での異同と、台湾加賀屋の開業

 設計の段階で、日本で著名な建築家と台湾の建築会社との会議が台湾で行われたが、その時徳光氏は別の仕事で同席できず、代わりの通訳に会議を頼んだ。しかし、通訳の力量が不足のために、会議は決裂寸前まで難航した。これをきっかけに、徳光氏は、二カ国間のビジネス会議を行う際は、相手がどんな企業なのか、相手の立場を尊重しながら心を伝えていくことが大事であると感じた。


「おもてなしと『OMOTENASHI』」

 当初、台湾での加賀屋では「おもてなし」を中国語に翻訳してスタッフに伝えていたが、2013年の東京オリンピック誘致の際の「おもてなし」効果により、世界中に日本の「おもてなし」という語が伝わることになった。それから台湾の加賀屋でもスタッフ用の通路各所にも「OMOTENASHI」とローマ字表記を併記することで日本の「おもてなし」を「カラオケ」のように世界の共通語のように広め、スタッフ各自が理解できるようにした。


「おもてなし、サービス、ホスピタリティーの違い」

 徳光氏は、おもてなしとサービス、ホスピタリティーのそれぞれ違いについて述べた。おもてなしでは、客とスタッフが対等であり、スタッフは母親になった気持ちで遠方から帰ってくる家族を待ち、迎え入れる、それがおもてなしであると強調した。家族のために何をしたら喜ぶのか、何を準備をするのかを考えるのと同じように、それらを準備するのを「しつらえ」という。日本のおもてなしとは、お客様に家族のように尽くすことが大事であると徳光氏は述べた。

 最後に会場からは、様々な質問があった。徳光氏が台湾で加賀屋を開業して一番うれしかったことは、お客様から加賀屋に宿泊してよかった喜びの声を聞いたときだという。また、客室係が、毎回いらっしゃるお客様に、自腹でお墓参り用の花束をお渡ししたことに感動したという。スタッフ自らそのような行動ができるようになったということに、徳光氏は台湾での加賀屋スタッフの心からの「おもてなし」を感じたとも語り、講演は好評のうちに終えることができた。