台日文化交流教室(1):向先賢學習日本的精神—現在備受注目的「新渡戶稻造」和「武士道」
活動花絮
日期:2015.04.10 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
     

     
向先賢學習日本的精神—現在備受注目的「新渡戶稻造」和「武士道」
日期:2015.04.10 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心
 

  今天的演講將以新渡戶稻造所提出之「武士道」為主軸,和大家分享何謂「日本精神」。

  日本人的宗教觀是由許多不同的信仰及想法交織而成的。日本的自然信仰認為世界上森羅萬象皆有神,且所有同胞皆來自同一個家族;六世紀時佛教傳入日本,在衝突過後漸與神道融合;在兩千五百年前,儒教也從中國傳入日本,成為政治的中心思想。上述三者相互交融,便形成了日本人的心靈。

  新渡戶稻造博士是教育家,同時也是政治家,在一戰期間擔任國際聯盟副秘書長,致力維護世界之和平;此外,他亦是『武士道』一書之作者。他針對「日本教育為何缺乏宗教教育卻仍能成立」之疑問,經歷十年之思考探索,發現了最終支持日本人心靈的便是對「武士道」的信仰。

  日本於1192年—鎌倉時代時建立了武士文化,之後直到江戶時代為止,「武士道」深入日本人心,成為日本人的中心思想。相對於其他各大宗教,日本的「武士道」並無典籍,但它融合了儒、釋、道的概念,演變成為日本人生存方式的準則。

  武士道的美德有以下四點。武士道的美德中最被重視的是「義」。「正義」,即「做正確的事」。在日本人的性格中,有「不該出風頭」、「要做跟大家同樣的事」這樣的特性,我認為這是日本人的缺點;不過如果以好的方向解釋,日本也同時是個懂得為人著想、具有同理心的民族。

  第二項美德是「禮」。日本人在登門作客時,會稱自己帶來的禮物是「不成敬意的薄禮」,這是因為認為跟對方的高貴比起來無論多麼美好的物品都會相形見絀,出於對他人的尊重才形成的習慣。

  第三項美德是「仁」。日本是一個和平的島國,在人民心中不存在撂倒對手或擊潰全員這樣的鬥爭心。源平之戰時,源氏的大將熊谷次郎直實在戰爭結束後落髮為僧,一生祭拜為他所殺的敦盛;日俄戰爭時,東鄉艦隊拯救所有戰敗的俄國軍官,並將傷者送醫。這兩個故事展現了日本武士道中關懷、敬愛對方的「仁」之美德,此一美德,原在孔子所創建之儒教中,也是最核心的德目。

  第四項武士道的精神是「赴死」。自己的生命固然可貴,但如果是為了比生命更重要的事物,我們可以捨身為義,這便是武士道的精神。1945年日本戰敗後,昭和天皇欲犧牲自己保全國民的精神,也是武士道美德的一種體現。

  新渡戶博士在二戰時曾遠赴美國,向美國說明日本的立場,雖飽受各方批評但仍努力為和平奔走,最後逝世於加拿大維多利亞港。現在,我們走到了一個政治關係複雜的年代。日本必須觀察中國的臉色,無法完全與台灣交好。但我認為無論政治關係如何,只要台灣與日本的人民能持續增進彼此的羈絆、長期保持良好的友誼,如此應當也能為亞洲及世界的和平有所貢獻。重要的是,我們的心中都必須存有愛好和平之心,並且一同攜手邁向二十一世紀。

提問與回答

(一)提問:

  一:在小田先生的成長過程中,是否曾有感受到武士道體現的瞬間?是什麼樣的經驗?

  二:日本的武士道融合了儒、釋、道等思想,然而這些思想發源的國家卻未發展出武士道,其原因為何?

  三:武士道並無固定的典籍或教育,為何卻能普及於日本一般人民心中?

  四:「不畏懼死」的精神是否就算是武士道的體現?



(二)綜合回答:

  我在學生時代時,曾經思考過自己的生命究竟是什麼、自己應該如何生存下去等的問題,然而日後發現,如果自己的行為能對他人有所助益、能看到別人的笑容,就能感受到自己的存在是有所意義的。我們的生命,是在與他人的連結中而存在,即使自己漸漸邁向死亡,死並不是一個終結,而是生命透過與他人的聯繫而再繼續存在下去。這樣的發現,也可算是武士道「大義」精神的體現吧。

  日本是個融合了各國信仰,且各國信仰和平存在的國家。我認為這也是出於武士道中相互尊重的精神,是日本的優點之一。而的確武士道是由武士階級所開創的,不過「為國捐軀」這樣的精神(雖然這不算是美德),為「大義」自我捐軀的情操,或許從古至今都存在日本人民心中。或許正因如此,武士道才能在沒有典籍支持的情形下仍長久存在人民心中。

  「生命」是非常可貴的,決不可以隨意輕忽。若能感受到自己生命和他人、和世界互相聯繫在一起,自己的生命存在於更大的、更重要的生命體之中,這樣的想法就是武士道的展現。甘地說:「活著,如同生命中最後一天般活著。學習,如同會永遠活著般學習。」將這句話送給大家。

 

 この講演では、新渡戸稲造が唱えた「武士道」を中心に、「日本の心」とは一体どのようなものなのかという点について解説していただいた。

 日本人の宗教観は、多くの異なる信仰と考え方が交じり合ってできたものである。日本の自然信仰とは、森羅万象には神が宿っており、かつ全ての人間は同じ源からきたひとつの家族だとする考え方である。6世紀、仏教が日本に伝来し、初めは神道と衝突したものの、次第に融合していった。儒教は5世紀のころに中国から伝来し、政治において中心的な思想となった。これら神道・仏教・儒教の三者は互いにまざりあい、日本人の心を形成していったのである。

 新渡戸稲造博士は教育家であると同時に、政治家でもあった。第一次世界大戦中は国際連盟副秘書長として、世界平和の維持に尽力した。また、彼は『武士道』の作者でもある。「日本教育は宗教教育がないのになぜ成立するのか」という疑問について10年もの間考え、ついに「武士道」が日本人の魂を支えているという答えに行き着いた。

 日本は鎌倉時代になり、武士文化が形成され、江戸時代まで続いた。「武士道」は日本人の心に深く入り込み、日本人にとっての中心的な思想となった。他の大宗教とは異なり、日本の「武士道」には典籍がないが、儒・仏・道教の概念を融合し、日本人の生活や人生の規範となった。

 武士道には、「義」、「礼」、「仁」、「名誉」の4つの美徳がある。その中で最も重視されるのが、「義」である。「正義」とは、「正しいことをする」ことを意味する。日本人の性格には、「人より抜きんでない」、「みんなと同じことをする」という特徴があるが、私はこれは日本人の欠点だと考える。しかしこのことは、日本人は人のために考えるという、「他人の気持ちを理解できる心」を持った民族だとプラスに捉えることもできるのである。

 2つ目の美徳は、「礼」である。日本人は誰かの家を訪問した際、持参したおくりものを「つまらないもの」と言う。これは、相手の高貴さ(相手が普段身に着けているもの等)と比べると、どんな良い品物であっても全く及ばないという気持ちで用いられているものであり、他人を尊重する気持ちが習慣となったものである。

 3つ目は、「仁」である。日本は平和な島国であり、人々の心に「敵をなぎ倒したい」や「敵を全滅させたい」といった闘争心はない。源平合戦では、源氏の大将熊谷次郎直実は合戦終結後に髪を落として僧となり、自分が殺した敦盛の供養に一生を捧げた。日露戦争では、東郷艦隊が日本に負けたロシアの軍官を助け、負傷者を病院に送った。この2つの話には、日本の武士道における気遣いや相手の「仁」への敬愛の美徳があらわれている。この美徳は元々、孔子が確立した儒教において、最も核心的な徳目であった。

 4つ目の武士道の精神は、「名誉」である。命とはもとより尊いものであるが、もし命よりも大事なもののためだとしたら、私達は自分を犠牲にすることができる。これは、まさしく武士道の精神である。1945年の敗戦後、昭和天皇は自分を犠牲にして国民の心を守りたいと望んだが、これもまた、武士道の美徳が体現されたかたちなのである。

 新渡戸博士は第二次世界大戦の際アメリカに赴き、アメリカに対して日本の立場を説明した。各方面から批判を受けたが、それでも平和のために努力を続け、最後はカナダのビクトリア・ハーバーでその生涯に幕を下ろした。現在、私たちは政治関係が複雑な時代に生きている。日本は中国の顔色を窺い、なかなか台湾との距離を縮めることができない。しかし、私は政治関係がどうであれ、台湾と日本の人々が互いに絆を深めていき、良好な関係を保ち続けさえすれば、それは結果としてアジアと世界の平和に貢献することになると考える。大切なのは、私たちが平和を愛する心を持ち、ともに手を取り合い未来に向かって進んでいくことなのである。


質疑応答

(一)提問:
一:先生ご自身はこれまでの人生で、武士道を感じたことはあるか。また、それはどのような経験なのか。
 答:学生時代、自分の命とは一体何なのか、どうやって生きていくべきかといった問題について考えたことがある。しかしその後、自分の行為が誰かのためになり、誰かの笑顔が見られるなら、自分の存在意義を感じることができると気づいた。私たちの命は、他人とのつながりの中に存在する。ゆっくりと死に向かっているとはいえ、死は終わりではなく、私たちの命は他人とのつながりの中で生き続けていく。私のこのような気付きは、武士道の「大義」の体現だと言えるのではないだろうか。

二:日本の武士道は儒・仏・道教等の思想を融合したものであるが、これらの思想が生まれた国では武士道は発展していない。これはなぜか。
 答:日本は各国の信仰を融合し、かつそれらが平和に共存する国である。これも、武士道における「互いに尊重しあう」という精神にあらわれており、日本のいいところの1つだと考える。また、真の武士道とは全ての武士階級によってつくられるものであるが、「国のために死ぬ」という精神(これは美徳とは言えないが)は、「大義」のために自分を犠牲にするという情操であり、古くから日本人の心にあり続けてきたものなのかもしれない。

三:武士道には決まった典籍や教育がないのに、なぜ日本人に浸透しているのか。
 答:2で述べた理由から、武士道は典籍がなくとも、長く人々の心に生き続けていると考えられる。

四:「死を恐れない」精神は、武士道の体現といっていいのか。
 答:命は尊いものであり、決して粗末に扱ってはならない。もし自分の命が他人や世界とつながっていて、共にあると感じることができたなら、その生命はより大きく重要な生命体の中で存在することになる。このような考え方は、武士道が発展したものである。ガンジーの、「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるがごとく学べ」ということばを、皆さんにおくりたい。

質疑応答

(一)提問:

  一:先生ご自身はこれまでの人生で、武士道を感じたことはあるか。また、それはどのような経験なのか。
  答:学生時代、自分の命とは一体何なのか、どうやって生きていくべきかといった問題について考えたことがある。しかしその後、自分の行為が誰かのためになり、誰かの笑顔が見られるなら、自分の存在意義を感じることができると気づいた。私たちの命は、他人とのつながりの中に存在する。ゆっくりと死に向かっているとはいえ、死は終わりではなく、私たちの命は他人とのつながりの中で生き続けていく。私のこのような気付きは、武士道の「大義」の体現だと言えるのではないだろうか。

  二:日本の武士道は儒・仏・道教等の思想を融合したものであるが、これらの思想が生まれた国では武士道は発展していない。これはなぜか。
  答:日本は各国の信仰を融合し、かつそれらが平和に共存する国である。これも、武士道における「互いに尊重しあう」という精神にあらわれており、日本のいいところの1つだと考える。また、真の武士道とは全ての武士階級によってつくられるものであるが、「国のために死ぬ」という精神(これは美徳とは言えないが)は、「大義」のために自分を犠牲にするという情操であり、古くから日本人の心にあり続けてきたものなのかもしれない。

  三:武士道には決まった典籍や教育がないのに、なぜ日本人に浸透しているのか。
  答:2で述べた理由から、武士道は典籍がなくとも、長く人々の心に生き続けていると考えられる。

  四:「死を恐れない」精神は、武士道の体現といっていいのか。
  答:命は尊いものであり、決して粗末に扱ってはならない。もし自分の命が他人や世界とつながっていて、共にあると感じることができたなら、その生命はより大きく重要な生命体の中で存在することになる。このような考え方は、武士道が発展したものである。ガンジーの、「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるがごとく学べ」ということばを、皆さんにおくりたい。