學術講論會(9)
活動花絮
日期:2014.12.17 | 主辦單位:大學文學院日本研究中心
        

     

     
近代日本的中國學・東洋學之成立與展開
日期:2014.12.17 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

  明治時期以後,伴隨著以帝國大學為中心的大學和學術界編制的建立,近代日本在攝取西洋近代的學問體系和大學制度的過程中,中國學及東洋學作為哲學或歷史學的一環而成立。首先,以東京帝國大學為中心,井上哲次郎.服部宇之吉等人自江戶.德川時期的儒學、漢學傳統,參考西洋哲學的構成,形成了所謂的支那哲學.東洋哲學。再來,以京都帝國大學為據點,內藤湖南.狩野直喜等人攝取了清朝考證學和法國支那學,成立了京都支那學。而東京帝國大學的白鳥庫吉、慶應義塾的那珂通世、於早稻田大學執教的津田左右吉等人,確立了承襲西洋近代之實證主義的東洋史學,並成立文獻批評.史料批評的方法。其他,以舊滿鐵調查部為首,戰前的各種調查機關所進行之中國社會的實地調查,雖然配合國家政策的意味濃厚,但這些調查反映了中國基層社會的實態,這在當時的學術界是很稀少的,也因此成為了戰後地域研究和社會科學研究的先驅。本演講除了整理其發展脈絡外,並針對其意義以及時代限制、功過等,以批判的角度一一定位,並進行概論式的解說,進而闡明近代日本人的中國.亞洲認識之一斑。

 明治期以降、西洋近代の学問体系や大学制度を摂取する過程で、近代日本における中国学や東洋学もまた、帝国大学を中心とする大学アカデミズムや学術界の編制、知の枠組みの確立に伴って、哲学や歴史学の一分野として成立した。まずは、江戸・徳川期以来の儒学や漢学的な伝統のなかから、東京帝国大学を中心として、西洋哲学の枠組みをも参照しつつ、井上哲次郎・服部宇之吉らによって、いわゆる支那哲学・東洋哲学などの学問分野が形成された。次いで、京都帝国大学を拠点として、内藤湖南・狩野直喜らにより、清朝考証学やフランス・シノロジーなどの方法論も摂取した、いわゆる京都支那学が成立する。他にも、東京帝国大学の白鳥庫吉、慶應義塾出身の那珂通世、早稲田大学で教鞭を執った津田左右吉らによって、西洋近代の実証主義を踏まえた東洋史学が確立され、文献批判・史料批判の方法が定着した。その他、旧・満鉄調査部をはじめ、戦前の各種調査機関による中国社会の実地調査は、国策的な意味合いも大きかった一方で、当時のアカデミズムには稀少な、中国の基層社会の実態に迫る側面も持ち、戦後の地域研究や社会科学的な研究の先鞭を付けた一面もある。本講演では、こうしたさまざまな流れを整理しながら、それらが有した意義や逆に時代的な限界、功罪などに関して、批判的に位置づけつつ、概説的な解説を行い、併せて、近代日本人の中国・アジア認識の一斑を解明した。