講 題:外交文書所刻劃之轉變中的東亞世界秩序 — 近代初期名分秩序論下的日韓論爭 —
主講人:張啟雄(中央研究院近史所研究員)
主持人:徐興慶(台灣大學日文系教授兼日本研究中心主任)
本文從“名分秩序論”的觀點,透過近代東亞外交文書的改行抬頭制度,考察始自先問書契以迄江華條約,因日對韓國書抬頭用語僭越致引爆外交紛爭,東亞世界秩序為之丕變。在歷史上,改行抬頭制度透過宗藩體制,傳播至東亞各國,規範中外關係。在“名分秩序論”下,為表交鄰對等以示敬意,日韓國書形式與用語均訂有改行抬頭制度,國書式與書契式的外交文書往復格式,即為典範。1867年明治維新,公家政權取代武家政權執掌國政。日本對韓遞交王政復古國書,使用 “皇、敕”等“違格、礙眼”的僭越用語,朝鮮拒受其國書,因而爆發「征韓論」。1876年,日方在掀起雲揚號事件後,黑田弁理大臣率艦至朝鮮,迫訂《日鮮修好條規》。總結日本的思考方式,乃透過“名分秩序論”,先在《中日修好條規》上,取得∵C=J,C>K,∴J>K(C=中國、J=日本、K=朝鮮)的成果。然後又在《日鮮修好條規》上,取得∵ Jb=Kk, Je>Jb, ∴Je>K k (e=天皇,b=幕府,k=國王)的成果。自此,日本以實力拉抬國際地位,入侵朝鮮,自居上位,清廷不能救,於是日本進圖取代,東亞世界秩序為之丕變。
講 題:外交文書における転換中の東アジアの世界秩序 ― 近代初期の名分秩序論をめぐる日韓論争
主講人:張啟雄(中央研究院近史所研究員)
主持人:徐興慶(台灣大學日文系教授兼日本研究中心主任)
「名分秩序論」の観点から、近代東アジアの外交文書の改行抬頭制度を通して、先問書契に始まり日朝修好条規に至るまでを考察する。日本が韓国に送った国書の抬頭用語が差し出たものであったために外交紛争を引き起こし、東アジア世界の秩序が大きく変化した。歴史上、改行抬頭制度は宗藩体制を通して東アジア各国に伝わり、中国と外国との関係の規範となった。「名分秩序論」の下で、対等な関係であるという交隣を表し、また敬意を示すため、日韓の国書の形式と用語がどちらも改行抬頭制度に改められ、国書式と書契式の外交文書の往復格式が模範となった。1867年の明治維新で、武家から天皇へ政権が移った。日本は韓国に王政復古の国書を送ったが、「皇」、「敕」等の「格が違う、目障り」といった、相手を見下した表現が用いられていたため、朝鮮は受け取りを拒否し、これによって「征韓論」が急速に高まった。
1876年の江華島事件後、黒田全権弁理大臣が艦船を率いて朝鮮へ行き、「日朝修好条規」を締結した。日本の思考方式を総括し、「名分秩序論」によって、まず「日中修好条規」において、∴Jb=Kk、Je>Jb、∴Je>Kk(e=天皇、b=幕府、k=国王)という成果を得た。これにより日本は、実力で国際社会における地位を向上させ朝鮮を統治したが、清朝は手出しできず、そのため日本が清朝に取って代わることになり、東アジアの世界秩序が大きく変化したのである。
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