
2025年12月6日,「近代文學.繪畫.影像」學術工作坊於臺灣大學人文館B213教室舉行。本工作坊獲得東芝國際交流財團的補助,由臺灣大學日本研究中心和日本語文學系共同主辦。
臺灣大學日本研究中心曹景惠主任於開幕式表示,文學研究並不只侷限於文本內容本身,以本次的主題為例,電影、插畫等媒介與文本的互文性,正賦予文學創作與評論更豐富的層次。在學術研究中,文本、電影、影像等不同媒材的交會,提供多樣的視角與思辨的空間。希望透過本次的工作坊,同學們能深刻體會這個領域的魅力,並且能把握機會和與會講者們多交流,為未來的研究尋找靈感。
本次工作坊特別邀請到工學院大學吉田司雄名譽教授、東京大學出口智之准教授、輔仁大學中村祥子副教授登壇授課。三位老師以深入淺出的方式,解析文本與影像或插畫的互動關係,啟發同學們對近代文學更寬廣的理解視野。
| 【演講1】 |
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主講人:出口智之(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化コース 准教授)
現在,日本近代文學研究主要以文本為研究對象。然而,明治時代的多數作家會針對自身作品的卷首插畫或內頁插畫的圖樣進行指示,另一方面畫家們往往也不閱讀本文,而是直接依照作家的指示作畫。對這些作家而言,插畫並不單純只是文學作品的視覺呈現,有時他們會特意讓畫家描繪出文章未提及的場面或內容,將圖與文視為一個整體來創作作品。在這樣的情形下,僅憑文章是無法掌握作品全貌的,特別像是尾崎紅葉和樋口一葉這樣早逝的作家,圖文結合的作品才是作家生前的唯一形態。省略了插畫的純文章形式,多為作者歿後擅自製作,甚至是連作家本人都毫不知情的呈現樣貌。本次發表將立基於過去被忽視的「圖文結合」的事實,以田山花袋的《蒲團》等經典名作為題材,探討將圖文視為整體進行分析的必要性與意義,並提出具體的研究方法。 |
| 【演講2】 |
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主講人:吉田司雄(工学院大学名誉教授)
1930年代正值文藝復興期的日本,「文藝電影」蔚為興盛。一般認為從默劇到有聲電影的轉變,有效推動了文藝電影的崛起。然而,文學與電影的連結並非始於「文藝電影」。例如在日活向島攝影所的新派電影中,已有許多以家庭小說為代表的文學作品被搬上銀幕。本次發表擬參照近年來的改編研究,包含電影史上較少受到重視的新派電影因「文藝電影」的興起而遭到忽略等面向,探討文學作品影像化的各種形式。 |
| 【演講3】 |
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主講人:中村祥子(輔仁大學日文系副教授兼系主任)
我想嘗試閱讀這兩部電影中的「書」。 電影與書籍的關係大致可分為兩種:一是「作為電影原著的書籍」,二是「電影畫面中出現的書籍」。本次發表將著眼於「電影畫面中出現的書籍」,並藉此解讀電影的世界。當書籍出現在電影中時,該書往往與電影的主題、時代背景或登場人物的心理狀態息息相關。換言之,解讀電影中的書籍,也能夠更深刻理解電影的世界觀。在以下兩部日、台電影中,分別都有書籍出現。在新海誠導演的《言葉之庭》中,登場人物閱讀了夏目漱石的《行人》與馬場曉子的《式子內親王》,此外也能見到雪野(ユキノ)所擁有的書籍。而在徐漢強導演的《返校》中,則出現了泰戈爾、屠格涅夫的《父與子》以及廚川白村的《苦悶的象徵》等著作。本場發表希望能透過這些在電影中被引用的日本「近代文學」的書籍,嘗試解讀電影這一門影像藝術。 |
| 【演講1】 |
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講 師:出口智之(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化コース 准教授)
現在、日本近代文学研究は主に本文を対象に行われている。しかし、明治時代の作家たちの多くは自作に入る口絵や挿絵の図柄を指示しており、一方で画家たちは本文を読まず、その指示に従って絵を描いていた。そうした作家たちは、絵を単純に文学作品の視覚的再現とするのではなく、文章で記述しない場面や内容をあえて絵に描かせ、絵と文をセットで作品を構成していることがある。その場合、文章だけでは作品の全体像を捉えることはできない。特に尾崎紅葉や樋口一葉のような早世した作家の場合、絵と文のセットが作家の生前唯一の形態であり、絵が省かれた文章だけの形というのは、歿後に勝手に作られた、作家本人があずかり知らない別様の形態でさえありうる。今回は、従来見過ごされてきたこのような事実に立ち、田山花袋「蒲団」をはじめとする著名作を題材として、文章と絵をセットで分析する必要性と意義、そして具体的な方法を示してみたい。 |
| 【演講2】 |
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講 師:吉田司雄(工学院大学名誉教授)
1930年代文芸復興期の日本で「文芸映画」というジャンルが隆盛する。無声映画からトーキー映画への転換が「文芸映画」の台頭を後押ししたこともよく知られている。しかし、文学と映画との関わりは「文芸映画」によって始まった訳ではない。例えば、日活向島撮影所の新派映画でも、家庭小説を始めとする文学作品が幾つも映像化されている。映画史で顧みられることの少なかった新派映画など、「文芸映画」の出現によって見えにくくなってしまった点も含め、文学作品の映像化にあたっての様々な在り様を、昨今のアダプテーション研究を参照しながら考えてみたい。 |
| 【演講3】 |
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講 師:中村祥子(輔仁大學日文系副教授兼系主任)
二つの映画の中の「本」を読んでみたい。 映画と本の関係は二つのものがあるだろう。「映画の原作としての本」と「映画の中に出てくる本」である。本発表では「映画の中に出てくる本」を読むを取り上げ、映画の世界を読み解いていきたい。映画の中に本が出てくる場合、その本は映画のテーマや時代、登場人物の心理と繫がるものである。いいかえれば、映画の中の本を読み解くことは、映画の世界をより深く理解することでもある。以下の日台の二つの映画の中にはそれぞれ本が出てくる。新海誠監督『言の葉の庭』には、登場人物が読む本として夏目漱石「行人」、馬場あきこ「式子内親王」があり、それ以外にもユキノの所有している本が見られる。また、徐強漢監督『返校~DETENTION』の中には、タゴール、ツルゲーネフ「父と子」、厨川白村「苦悶の象徴」などがある。これらの映画の中に引用される日本「近代文学」の本を通して、映像の芸術である映画を読み解いてみたい。 |














