第2屆全國研究生研習營 
第2回全国大学院生ワークショップ
活動花絮
日期:2015.10.05 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心
        

     

     
【歷史地理領域】
日期:2015.10.05 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

講 題:平安京の建設と平安京・京都の変遷
主講人:金田章裕(京都大學文學研究科名名譽教授)
主持人:朱秋而(台灣大學日文系教授)


 今日の京都府京都市街はかつて平安京と呼ばれており、794年、桓武天皇が長岡京から平安京に都を移してから1869年まで日本の首都だった。当時の平安京の都城は中国唐朝の長安や洛陽を参考に設計され、平安京の区画分けは現在にまで残っている。街路の様子は時代の変遷に伴い変化しており、1922年の市街図を見ると、左京には以前の街路区分や風貌の名残があるが、右京は左京と比べて、農地化等の理由からすでにその形を失っている。特に西南角のエリアは、そこに以前の街路の名残を見ることはできない。

 金田教授は平安、中世(鎌倉・室町)、近世(江戸)、近代の各時代から平安京の構造および変化を分析し、また聴講者が当時の街路や社会の様子を想像しやすいように、それぞれの時期の平安京復元平面図や歴史、当時の人物や文学作品等を示しながら説明した。8世紀末から9世紀の平安京は基本的に建設時の風貌を維持したままだったが、10~11世紀平安中期になると主な政府機関や居住区が左京に集中するようになり、11~12世紀平安後期には右京区は耕地化や荘園化が進み、中世では、都市機能は左京側で集中して発展するという現象が特に顕著になった。近世期1625年に出版された『都記』は、日本に現存する最古の都市地図だが、それを見ると、江戸時代でも左京が京の中心だったことがわかる。1869年明治天皇が江戸(東京)に遷都した際、天皇や朝臣や政府機関も共に移動し、朝臣の邸宅の多くは取り壊され、後の京都御苑となった。首都機能を失った京都は危機感を強めながら、近代産業の発展を始め、今日の京都の姿が徐々に完成していくのである。



【社會領域】
日期:2014.10.8 | 單位:臺灣大學文學院日本研究中心

講 題:大規模災害において地域歴史資料を未来につなぐことの意味ー第3回国連防災会議に対する日本史学からの提起ー
主講人:奧村弘(神戶大學文學部教授)
主持人:徐興慶(台灣大學日文系教授兼日本研究中心主任)


 1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、日本社会は大規模災害に対するさまざまな認識や対応を持つようになった。しかし阪神淡路大震災から20年が経ち、現在の神戸の若者の多くは当時の大地震を経験しておらず、それゆえ地震にどのように立ち向かえばいいのかという経験や記憶を後世に伝えていくことが、非常に重要な課題となっている。大規模災害の歴史的資料の保存は、主に地元住民と歴史研究家によって進められ、阪神淡路大震災をきっかけに「歴史資料ネットワーク」(史料ネット)が立ち上げられた。この史料ネットは、これまで自然災害の歴史資料の保存作業を行っており、その活動は全国に広がっている。1995年に始まった「史料ネット」の歴史資料保全活動は第6期を迎えており、現在の主な作業は東日本大地震の史・資料の保存および復元である。「史料ネット」の他にも日本各地に歴史史料の保全団体があり、最近では地域住民との協力に力を入れはじめ、ともに地域の歴史や文化遺産を後世に受け継いでいくための活動をしている。

 討論の際、「史料ネットの史・資料保存計画は長期的なものか、それとも短期的なものか」という質問があった。これに対して奥村教授は「現在の史料ネットの主な作業はやはり311大地震の史・資料の保存。津波で流され水浸しになった文書も冷凍保存で復元を試みており、今はその作業も完成している。次は地元住民とともに文書上の汚れや泥を落とす作業を行う。実際この仕事は災害が起こってはじめて必要となるため、目標を定めることは難しい。」と答えた。



【文化領域】
日期:2015.10.05 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

講 題:中国から移入された漢字は日本の文化の中にどのように溶け込んでいるのかー和語・漢語・外来語との関係から
主講人:佐佐木瑞枝(武藏野大學言語文化研究科名譽教授)
主持人:曹景惠(臺灣大學日文系副教授/日本研究中心特約研究員)


 日本語はその来源から、日本独自の和語、中国から伝わった漢語、開国後西洋から伝わった外来語、の3つに分類することができる。佐々木教授は会場の学生をグループ分けし、ある童詩に出てくる和語、漢語、外来語の区別について討論させ、ホワイトボードに書かせた。学生は外来語については正確な区別ができたが、漢語と和語は必ずしも簡単ではなかったようだ。教授は、この2つの違いは漢字の有無では判断できず、ポイントは発音が中国語に近いかどうかであると解説した。

 次に教授は学生に政治ニュースを見せ、先の童詩と比較させた。和語中心の童詩と比べてニュースでは漢語が多く、このような用法の違いは、同じ意図を表すとしても、日本人の和語、漢語、外来語の使用には、微妙な語感の差が生まれる。例えば日本人にとって「旅館」は、「宿屋(やどや)」や「ホテル」よりより現代的で清潔で、明るい印象を与える。この日本人の和語・漢字使用の差異を明らかにすべく、教授はまた別の文章を用いて学生に考えさせ、この2者間に「漢語は書き言葉に多い」という違いがあることに気づかせた。これは日本語の漢語には同音異義の文字が多く、話し言葉として用いるのに適さないからだという。



【語學領域】
日期:2015.10.05 | 主辦單位:臺灣大學文學院日本研究中心

講 題:日本語教育における異文化コミュニケーション能力の育成
主講人:賴錦雀(東吳大學日文系教授)
主持人:范淑文(臺灣大學日文系教授/系主任)


 2015年は台湾日本語教育の120周年である。初期の頃は日本語を学ぶというのはあまり流行らないことだったが、それでも多くの教員や日本研究学者を生み出した。現行の台湾における日本語教育は他国と比べて、異文化学習面で足りない部分があることが明らかである。日本語に限らず、台湾の外国語学習は、僅かに言語そのものを学ぶだけで、文化理解は見落とされている。


 なぜ文化に対する理解がなければ本当の意味で外国語をマスターしたと言えないのか。例を挙げると、中国語の「一日不見如隔三秋」や日本語の「嘘八百」における、それ自体に意味のない数字の使用は、ある文化の数字に対する認識を包括しているのである。文化への認識が乏しいと、ただ知識を詰め込んだだけの言語となり、ことばの背景を理解することはできない。


 台湾の外国語教育は、外国語政策や評価の仕組みが整っておらず、加えて教育部が各教育機関に外国語能力検定の合格数を報告するよう求めているため、テスト中心の授業となってしまい、内容を深めていくことができないという悪循環にますます陥ってしまう。日本語教育は国際化と現地化の両方を重視するべきであり、それによって「立足台灣,理解日本,放眼國際(台湾に立って日本を理解し、世界に目を向ける)」の目標を達成していこうと呼びかけた。


 最後に教授は、台湾の学生が自主性と語学力、そしてさまざまな専門知識をもって、異文化コミュニケーションにおける優秀な人材になることを期待していると述べて講義をしめくくった。