日本学研究叢書29
日清講和條約簽署後,臺灣被割讓給日本,當時,日人伊澤修二(いさわ・しゅうじ、1851-1917)為治理臺灣,遂來臺推行日語教育。由於伊澤修二任職於文部省與臺灣總督府,不僅負責教育方面的行政事務、創立國家教育社推行教育啟蒙,也創辦樂石社以推動口吃矯正教育。因此,欲探索近代日本國民語言的奠基事業與成就,伊澤修二是不可避而不談的人物。儘管學界已發表許多有關伊澤修二的先行研究,但目前仍少有同時立足日本、臺灣,乃至亞洲視域的跨文化探討。
日清戦争の講和条約を経て、割譲された台湾を治めるべく降り立った人たちのなかに、一人の男性がいた。その名を伊沢修二(いさわ・しゅうじ、1851-1917)という。伊沢は文部省と台湾総督府に勤務することで教育行政に関わり、または国家教育社で教育の啓蒙をおこない、楽石社をひらいて吃音矯正事業を推し進めた。伊沢は、近代日本における国民の言語の成立を検討するさいに欠かすことのできない人物である。伊沢はその重要性から多くの研究がされてきたが、日本と台湾、ひいてはアジアという視点に立脚した総合的な研究はほとんど行われてこなかった。
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